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学問の神様の墓

 ここは「イホ崎」という場所で、そこには流刑になって島に住んだ大和の僧「鬼才」の墓であるといわれています。現在、この拝所は、字の人たちからは学問の神様と呼ばれ、子供が高校や大学を受験するときも祈願しています。

住所

〒901-3501
沖縄県渡嘉敷村渡嘉敷362

学問の神様の墓

 ここは「イホ崎」という場所で、そこには流刑になって島に住んだ大和の僧「鬼才」の墓であるといわれています。現在、この拝所は、字の人たちからは学問の神様と呼ばれ、子供が高校や大学を受験するときも祈願しています。

 字渡嘉敷362の字渡嘉敷の南側の川尻に所在しています。

 渡嘉敷の字では、戦前までは正月の7日と6月の稲穂祭のときに、ここで村の安全と作物の豊穣を祈願していましたが、戦後は正月のみ行っています。字の言い伝えによれば、ここに葬られている人は大島出身の学問僧で、この僧が来るまで琉球では漢文だけを用いていましたが、この人が薩摩藩から派遣されてきて国文学を教えたので、琉球でも和文ができるようになったといわれています。また、この僧侶は渡嘉敷に来ると米祝女殿内(メーヌンドゥンチ)で暮らし、島の人から「学問世の先生」と呼ばれていました。そのころ根神殿内(ニーガンドゥンチ)に非常に奇麗なニーガングヮー(根神小)という娘がおり、その女性と恋仲になり、夜になるとこっそり根神殿内に通っていました。島の若い男達はこの僧侶を妬み、殺して死体を渡嘉敷川に流してしまいました。すると大雨が降り、死体は渡嘉敷川が海に注ぐ所に流れ着きました。村の人たちは死体を近くの山手の方に埋めましたが、ちょうどその年にコレラが流行し、ユタを雇って聞いたところ、その僧侶がユタの口を借りて、「このコレラは私の祟りだ」と言った。村の人たちはお墓を造り、そしてさらに造り直し、拝所を建てたといいます。

 未開通道路沿いのため車では入ることができません。渡嘉敷港から徒歩でお願いします。徒歩5分弱くらいの所にあります。 

 字渡嘉敷362の字渡嘉敷の南側の川尻に所在しています。

 渡嘉敷の字では、戦前までは正月の7日と6月の稲穂祭のときに、ここで村の安全と作物の豊穣を祈願していましたが、戦後は正月のみ行っています。字の言い伝えによれば、ここに葬られている人は大島出身の学問僧で、この僧が来るまで琉球では漢文だけを用いていましたが、この人が薩摩藩から派遣されてきて国文学を教えたので、琉球でも和文ができるようになったといわれています。また、この僧侶は渡嘉敷に来ると米祝女殿内(メーヌンドゥンチ)で暮らし、島の人から「学問世の先生」と呼ばれていました。そのころ根神殿内(ニーガンドゥンチ)に非常に奇麗なニーガングヮー(根神小)という娘がおり、その女性と恋仲になり、夜になるとこっそり根神殿内に通っていました。島の若い男達はこの僧侶を妬み、殺して死体を渡嘉敷川に流してしまいました。すると大雨が降り、死体は渡嘉敷川が海に注ぐ所に流れ着きました。村の人たちは死体を近くの山手の方に埋めましたが、ちょうどその年にコレラが流行し、ユタを雇って聞いたところ、その僧侶がユタの口を借りて、「このコレラは私の祟りだ」と言った。村の人たちはお墓を造り、そしてさらに造り直し、拝所を建てたといいます。

 未開通道路沿いのため車では入ることができません。渡嘉敷港から徒歩でお願いします。徒歩5分弱くらいの所にあります。 

〒901-3501
沖縄県渡嘉敷村渡嘉敷362