SPOTスポット

久場島(くばしま)

 慶良間諸島最西端で、なおかつ最も高い山を擁する無人島です。周辺はダイビングスポットとしてよく知られています。

住所

〒901-3402
沖縄県座間味村座間味

久場島(くばしま)

 慶良間諸島最西端で、なおかつ最も高い山を擁する無人島です。周辺はダイビングスポットとしてよく知られています。

 久場島(くばしま)は、座間味島の南西約7㎞の海上に位置する慶良間諸島最西端の無人島です。面積1.54㎢、周囲6.82㎞の島で、標高270.1mの久場島の岳(トゥイヤキヌキジとも呼ばれています。)は、慶良間諸島で最高峰の山となっています。この久場島の岳は、慶良間諸島では唯一の山地で、山体は島の4分の3を占め、それ以外の場所も急斜面が多く平地はありません。島の西約300mに「ふかかに瀬」といわれる小島が存在します。島全体は断崖に囲まれていますが、島北西部の海岸には砂浜が形成されています。主に緑色片岩で構成されていますが、緑色片岩の生成に伴ってキースラガー鉱床といわれる銅を含む硫化鉄鉱床が発達し、第2次世界大戦中まで銅鉱を採掘していました。久場島には非常に多くの多種多彩な植物が確認され、特に、強風や潮風、さらに乾燥に強い植生が見受けられます。海岸沿いにはアダンやヒルガオが、また、海風に強い多年草のススキやチガヤが群生しています。北東部のオキナワマツバボタン群落と、南西部の久場島の岳の風衡地植生は、特定植生群落に選定されています。島山頂部に樹木は見受けられず、草原が広がり、島内にはヒメハブが生息しています。
 なお、周辺海域はダイビングスポットとして有名です。

 久場島は、沖縄の方言で「クボージマ」といわれ、島内に多く自生していたビロウ(沖縄方言でクバ)が「久場島」という島名の由来となっています。歌集『おもろさうし』には「こはしま」、1713年に編纂された地誌『琉球国由来記』では、「古場島」と記されています。島内最高峰の「久場島の岳」には、古来から航海を司る神をまつる御嶽があり(頂上一帯が御嶽となっています。)、現在でも阿嘉島の住民は久場島に度々訪れます。『琉球国由来記』によると、崇禎年間(1628~1640年)に、第二尚氏の王族であった金武朝貞が薩摩藩から持ち帰ったシカを久場島で放牧したのが始まりで、それ以降、慶良間諸島の各島に渡ったのが後にケラマジカと呼ばれることになりました。1855年には、歳暮用の贈答品として、王族・役人・百姓とともに鹿狩りを行っています。1976年の現地調査では、久場島にケラマジカは生息していません。現在、慶留間島(げるまじま)と屋嘉比島(やがびじま)にすむケラマジカは、国の天然記念物に指定されています。
 明治期から第2次世界大戦までは、久場島は銅の産地として、鉱夫やその関係者含めて最大約800人が居住していました。久場島の北側丘陵に鉱山集落があり、小学校もあったとされています。また、明治末期から島内でカツオ節生産が行われ、薪燃料として森林が伐採されました。その結果、慶良間諸島のほとんどに自生しているイタジイは、久場島には見られません。

 島全体が御願の場となっているため、拝み以外の目的での上陸はできません。
 国指定天然記念物ケラマジカの生息地となっています。

 久場島(くばしま)は、座間味島の南西約7㎞の海上に位置する慶良間諸島最西端の無人島です。面積1.54㎢、周囲6.82㎞の島で、標高270.1mの久場島の岳(トゥイヤキヌキジとも呼ばれています。)は、慶良間諸島で最高峰の山となっています。この久場島の岳は、慶良間諸島では唯一の山地で、山体は島の4分の3を占め、それ以外の場所も急斜面が多く平地はありません。島の西約300mに「ふかかに瀬」といわれる小島が存在します。島全体は断崖に囲まれていますが、島北西部の海岸には砂浜が形成されています。主に緑色片岩で構成されていますが、緑色片岩の生成に伴ってキースラガー鉱床といわれる銅を含む硫化鉄鉱床が発達し、第2次世界大戦中まで銅鉱を採掘していました。久場島には非常に多くの多種多彩な植物が確認され、特に、強風や潮風、さらに乾燥に強い植生が見受けられます。海岸沿いにはアダンやヒルガオが、また、海風に強い多年草のススキやチガヤが群生しています。北東部のオキナワマツバボタン群落と、南西部の久場島の岳の風衡地植生は、特定植生群落に選定されています。島山頂部に樹木は見受けられず、草原が広がり、島内にはヒメハブが生息しています。
 なお、周辺海域はダイビングスポットとして有名です。

 久場島は、沖縄の方言で「クボージマ」といわれ、島内に多く自生していたビロウ(沖縄方言でクバ)が「久場島」という島名の由来となっています。歌集『おもろさうし』には「こはしま」、1713年に編纂された地誌『琉球国由来記』では、「古場島」と記されています。島内最高峰の「久場島の岳」には、古来から航海を司る神をまつる御嶽があり(頂上一帯が御嶽となっています。)、現在でも阿嘉島の住民は久場島に度々訪れます。『琉球国由来記』によると、崇禎年間(1628~1640年)に、第二尚氏の王族であった金武朝貞が薩摩藩から持ち帰ったシカを久場島で放牧したのが始まりで、それ以降、慶良間諸島の各島に渡ったのが後にケラマジカと呼ばれることになりました。1855年には、歳暮用の贈答品として、王族・役人・百姓とともに鹿狩りを行っています。1976年の現地調査では、久場島にケラマジカは生息していません。現在、慶留間島(げるまじま)と屋嘉比島(やがびじま)にすむケラマジカは、国の天然記念物に指定されています。
 明治期から第2次世界大戦までは、久場島は銅の産地として、鉱夫やその関係者含めて最大約800人が居住していました。久場島の北側丘陵に鉱山集落があり、小学校もあったとされています。また、明治末期から島内でカツオ節生産が行われ、薪燃料として森林が伐採されました。その結果、慶良間諸島のほとんどに自生しているイタジイは、久場島には見られません。

 島全体が御願の場となっているため、拝み以外の目的での上陸はできません。
 国指定天然記念物ケラマジカの生息地となっています。

〒901-3402
沖縄県座間味村座間味

トップへ戻る