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高良家

 国指定の重要文化財(建造物)であり、炊事場が母屋にある非分棟型の古民家です。

住所

〒901-3312
沖縄県座間味村慶留間82

高良家

 国指定の重要文化財(建造物)であり、炊事場が母屋にある非分棟型の古民家です。

 高良家は、船頭主家(しんどうしゅーやー)と呼ばれる旧家です。屋敷は、原野を除く住宅面積が591.87㎡(約180坪)で、周囲には石垣がはりめぐらされ、西側は石垣越しに道に面しています。宅地への入口は、南西隅から両側石垣の積まれた通路を通って正面玄関に至ります。玄関の手前にはヒンプン(目隠し塀)があり、その背後に主屋が控えています。主屋は寄棟(よせむね)造りで、桁行(けたゆき)12.7m、梁間(はりま)8.7m、雨端(あまはじ)、ヌレエンを除いた住宅面積は81.69㎡(24.71坪)となっています。主屋は、宅地のほぼ中央よりにあって南に面しています。間取りは、表面に東から床の間を持ち、回り縁をともなった一番座、仏壇がある二番座、のちに造作した押し入れをともなった三番座の三室が表座敷として並び、これらの裏側に裏座三室と西側に台所を配しています。三番裏座にはジル(いろり)と押し入れがあり、台所には現在、床が張られていますが、もとは後半部は土間であったといわれています。主屋の東側と前面、西側の一部まで雨端(あまはじ)がめぐらされ、一番座の前面には玄関が張り出して設けられています。住宅の裏側にはフール(豚舎)跡があり、東側には二段積みの石垣が積まれ、その上は屋敷林となっています。

 琉球王府時代の末期に公用船の船頭職を務めた仲村渠親雲上(なかんだかりベーちん)(1877年没)が、唐儲け(中国交易)によって19世紀後半に建築したといわれています。沖縄県内では、竹富島の東金城家(1905年建造)、伊是名島の銘苅家(1906年建造)、名護市の久護家(1906年建造)などが知られていますが、これらと比較しても高良家住宅は古いといえます。先の沖縄戦において、いくつもの砲弾を受けたにもかかわらず、今日、その姿を残しています。しかし、経年による破損が顕著に見られ、1999年1月から保存修理に着手し、2000年12月をもって工事が完了しました。

 「高良家住宅」は、1988年5月11日に、国指定の重要文化財(建造物)に指定されました。
 入館料は大人300円、子供170円です。年末年始及び毎週月曜日は休館日です。

 高良家は、船頭主家(しんどうしゅーやー)と呼ばれる旧家です。屋敷は、原野を除く住宅面積が591.87㎡(約180坪)で、周囲には石垣がはりめぐらされ、西側は石垣越しに道に面しています。宅地への入口は、南西隅から両側石垣の積まれた通路を通って正面玄関に至ります。玄関の手前にはヒンプン(目隠し塀)があり、その背後に主屋が控えています。主屋は寄棟(よせむね)造りで、桁行(けたゆき)12.7m、梁間(はりま)8.7m、雨端(あまはじ)、ヌレエンを除いた住宅面積は81.69㎡(24.71坪)となっています。主屋は、宅地のほぼ中央よりにあって南に面しています。間取りは、表面に東から床の間を持ち、回り縁をともなった一番座、仏壇がある二番座、のちに造作した押し入れをともなった三番座の三室が表座敷として並び、これらの裏側に裏座三室と西側に台所を配しています。三番裏座にはジル(いろり)と押し入れがあり、台所には現在、床が張られていますが、もとは後半部は土間であったといわれています。主屋の東側と前面、西側の一部まで雨端(あまはじ)がめぐらされ、一番座の前面には玄関が張り出して設けられています。住宅の裏側にはフール(豚舎)跡があり、東側には二段積みの石垣が積まれ、その上は屋敷林となっています。

 琉球王府時代の末期に公用船の船頭職を務めた仲村渠親雲上(なかんだかりベーちん)(1877年没)が、唐儲け(中国交易)によって19世紀後半に建築したといわれています。沖縄県内では、竹富島の東金城家(1905年建造)、伊是名島の銘苅家(1906年建造)、名護市の久護家(1906年建造)などが知られていますが、これらと比較しても高良家住宅は古いといえます。先の沖縄戦において、いくつもの砲弾を受けたにもかかわらず、今日、その姿を残しています。しかし、経年による破損が顕著に見られ、1999年1月から保存修理に着手し、2000年12月をもって工事が完了しました。

 「高良家住宅」は、1988年5月11日に、国指定の重要文化財(建造物)に指定されました。
 入館料は大人300円、子供170円です。年末年始及び毎週月曜日は休館日です。

〒901-3312
沖縄県座間味村慶留間82

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