SPOTスポット

米軍上陸之碑

 前浜(メーヌハマ)ビーチは、沖縄戦で最初に米国軍が上陸した地です。

住所

〒901-3311
沖縄県座間味村阿嘉51

米軍上陸之碑

 前浜(メーヌハマ)ビーチは、沖縄戦で最初に米国軍が上陸した地です。

 米軍上陸之碑は、1945年3月26日、沖縄戦で最初に米軍が上陸した前浜ビーチの前に建てられています。碑の題字で使用している石は、当時、軍からの命令で島の義勇隊として働いた島民から寄贈された石を加工して石碑を建立しました。

 1945年3月23日から3日間にわたって米軍の空襲、艦砲射撃を受けた座間味の島々は、原形を失うほどに痛めつけられ、住民は既に防空壕生活を強いられていました。そして、26日、午前8時をまわった頃、米軍は水陸両用戦車を先頭に、阿嘉島、慶留間島、外地島に上陸を開始しました。米軍の阿嘉島での上陸地点は前浜ビーチですが、他の島とは異なり、当時の日本兵の指示により、早くに白旗をあげ降伏しました。そのため、阿嘉島は、沖縄の島々の中で、唯一集団自決なく終戦を迎えた島となっています。

 沖縄戦において、米軍の最初の上陸地に選ばれたのは、座間味村の島々でした。米軍は、沖縄本島への攻撃に先立ち、まず慶良間諸島を占領、そこを拠点として、4月1日、本島への上陸を図りました。
 沖縄戦で米軍が初めて上陸した地の一つです(1945年3月26日午前8:04)。
 戦跡地は村や住民にとって大切な場所です。迷惑行為は慎むようにしてください。

 米軍上陸之碑は、1945年3月26日、沖縄戦で最初に米軍が上陸した前浜ビーチの前に建てられています。碑の題字で使用している石は、当時、軍からの命令で島の義勇隊として働いた島民から寄贈された石を加工して石碑を建立しました。

 1945年3月23日から3日間にわたって米軍の空襲、艦砲射撃を受けた座間味の島々は、原形を失うほどに痛めつけられ、住民は既に防空壕生活を強いられていました。そして、26日、午前8時をまわった頃、米軍は水陸両用戦車を先頭に、阿嘉島、慶留間島、外地島に上陸を開始しました。米軍の阿嘉島での上陸地点は前浜ビーチですが、他の島とは異なり、当時の日本兵の指示により、早くに白旗をあげ降伏しました。そのため、阿嘉島は、沖縄の島々の中で、唯一集団自決なく終戦を迎えた島となっています。

 沖縄戦において、米軍の最初の上陸地に選ばれたのは、座間味村の島々でした。米軍は、沖縄本島への攻撃に先立ち、まず慶良間諸島を占領、そこを拠点として、4月1日、本島への上陸を図りました。
 沖縄戦で米軍が初めて上陸した地の一つです(1945年3月26日午前8:04)。
 戦跡地は村や住民にとって大切な場所です。迷惑行為は慎むようにしてください。

〒901-3311
沖縄県座間味村阿嘉51

トップへ戻る