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逆田(さかた)

 本土の段々畑のように開墾されており、風情があり、若き日の尚円王をしのぶことができる場所です。

住所

〒905-0601
沖縄県伊是名村内花

逆田(さかた)

 本土の段々畑のように開墾されており、風情があり、若き日の尚円王をしのぶことができる場所です。

 逆田(さかた)とは、1415年に諸見集落の農民の子として産声を上げた松金(まちがに)(後の金丸、尚円王)が農業を営んだ田圃のことです。周りの田圃よりも一段高い場所に位置していますが、現在でも豊富な水が湧き出しており、若き日の尚円王の時代をしのぶことができます。

 若き日の松金は、仕事熱心な男で、一生懸命に田畑の仕事をしていました。当時、この伊是名島の田畑は荒地が多く、よく旱魃被害に見舞われていました。そこで、松金は、他の田よりも少し高い位置にある、水が涸れることのない逆田の場所を開墾して稲作を行い、大旱魃の時にもこの田だけは豊作でした。村の男たちがこれを羨み、ある夜、この田の水を下にある自分たちの田畑に流そうと、松金の田の一部を崩してしまいました。そのことを聞きつけた松金を慕う多くの若い女性たちが、男たちには内緒で下の田から水を汲んでは彼の田に戻し、崩された所も直したといわれています。高い位置にあったにも関わらず、逆流して潤っているような光景を見た村人は、ここを逆田と呼ぶようになりました。「百シジのハンタ うさんしち見りば 北(にし)ぬ松金が 手振り美らさ」(大意:アマグスク(天城)の頂上にある毛遊び場所で、恥ずかしながら手のひらをかざして見ると、存分に踊る北の松金の姿たるや何と美しいことか。)と島内の娘たち(みやらび)から慕われていた松金は、青年たちからこの際にと「水泥棒」の嫌疑をかけられてしまいました。身の危険を感じた松金は、老人の指南を受けて、海岸からくり舟を漕いで国頭を目指したと伝えられています。

 逆田は、1992年7月17日、伊是名村の史跡に指定されています。
 諸見集落から千原地下ダムへ向かう道路沿いに案内標識があるので、一度訪れると比較的分かりやすいです。

 逆田(さかた)とは、1415年に諸見集落の農民の子として産声を上げた松金(まちがに)(後の金丸、尚円王)が農業を営んだ田圃のことです。周りの田圃よりも一段高い場所に位置していますが、現在でも豊富な水が湧き出しており、若き日の尚円王の時代をしのぶことができます。

 若き日の松金は、仕事熱心な男で、一生懸命に田畑の仕事をしていました。当時、この伊是名島の田畑は荒地が多く、よく旱魃被害に見舞われていました。そこで、松金は、他の田よりも少し高い位置にある、水が涸れることのない逆田の場所を開墾して稲作を行い、大旱魃の時にもこの田だけは豊作でした。村の男たちがこれを羨み、ある夜、この田の水を下にある自分たちの田畑に流そうと、松金の田の一部を崩してしまいました。そのことを聞きつけた松金を慕う多くの若い女性たちが、男たちには内緒で下の田から水を汲んでは彼の田に戻し、崩された所も直したといわれています。高い位置にあったにも関わらず、逆流して潤っているような光景を見た村人は、ここを逆田と呼ぶようになりました。「百シジのハンタ うさんしち見りば 北(にし)ぬ松金が 手振り美らさ」(大意:アマグスク(天城)の頂上にある毛遊び場所で、恥ずかしながら手のひらをかざして見ると、存分に踊る北の松金の姿たるや何と美しいことか。)と島内の娘たち(みやらび)から慕われていた松金は、青年たちからこの際にと「水泥棒」の嫌疑をかけられてしまいました。身の危険を感じた松金は、老人の指南を受けて、海岸からくり舟を漕いで国頭を目指したと伝えられています。

 逆田は、1992年7月17日、伊是名村の史跡に指定されています。
 諸見集落から千原地下ダムへ向かう道路沿いに案内標識があるので、一度訪れると比較的分かりやすいです。

〒905-0601
沖縄県伊是名村内花

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