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銘苅家住宅

 玉御殿と並んで、伊是名村内でも屈指の歴史的施設です。幾何学的な線と面と角の絶妙な構図、赤瓦屋根の美しさも特徴的で、沖縄本島にある首里城と同じ技法で作られた石垣は圧巻です。品格のある造りと敷地の広さを見ると、特別な家系であったということが分かります。

住所

〒905-0604
沖縄県伊是名村伊是名

銘苅家住宅

 玉御殿と並んで、伊是名村内でも屈指の歴史的施設です。幾何学的な線と面と角の絶妙な構図、赤瓦屋根の美しさも特徴的で、沖縄本島にある首里城と同じ技法で作られた石垣は圧巻です。品格のある造りと敷地の広さを見ると、特別な家系であったということが分かります。

 銘苅家は「伊平屋島の夫地頭(ぶじとう)(銘苅大屋子(めかるうふやこ))」職を世襲制で務めた家で、第二尚氏王統の始祖・尚円王の叔父の子孫の家系です。夫地頭とは、地頭代(間切行政の現地最高責任者で、現代の村長に相当します。)の補佐役であり、非常勤で、任期は一般に3年、定員は間切によって2~8名で異なりましたが、伊是名島では定員6名でした。伊是名島の夫地頭は、銘苅家以外の他の5名は平民から任用されました。銘苅家のみが士族で、大屋子(「大屋子」は、中央官人としての役職と、地方官人としての役職があり、銘苅大屋子に関しては後者に当たります。)の一人は銘苅家の当主が就任できるという特例になっていました。主として、王家に関する祭祀や行事を担当する地位にあり、島に住む王族を代表する者としてしばしば首里に出張し国王に謁見していました。銘苅家住宅の門に入ると、先ず正面にヒンプン(屏風、家の門の内側にある目隠しのことです。)が立ち、右側には屋根付きの門が立ち、女性は門、男性はヒンプンの左側から出入りしていました。建物は赤瓦葺きで、母屋の右手には来客をもてなす部屋、左手には家畜小屋として使われていた離れがあります。こうした造りは、琉球士族の家の特徴を表しています。現在の銘苅家住宅は、1906年に再建されました。沖縄戦の被害を免れたことで琉球建築民家の中でも保存がよく、上級士族住宅の格式ある違例として、極めて貴重な文化財となっています。銘苅殿内(ドゥンチ)と呼ばれることもあります。

 伊是名島の現字諸見出身の農民であった尚円王(北の松金(ニシヌマチガニ)・金丸)が島を出て天下人になったために、島に居住する姉・叔父・叔母の3名に特別職が与えられました。姉の真世仁金(マゼニガニ)には「伊平屋の阿母加那志(アンジャナシー)」という神女職が、叔父の真三良(まさぶろう/マサンラー)には「銘苅大屋子」という特別職が、叔母の真世仁金(マゼニガニ)には「二かや田の阿母」という神女職が与えられ、代々世襲されることになりました。しかし、叔母の真世仁金が亡くなった後には、その2人の娘が同時に「二かや田の阿母」職を継ぎ、「南風(姉)」と「北(妹)」の2つに分かれました。そして、銘苅大屋子は男子のみ、他の3家は女性が代々世襲しました。このようにして、アンジャナシー「ウドゥン(名嘉家)」、ミケル「銘苅家」、フェーヌタハダ「玉城家」、ニシヌタハダ「伊礼家」の4つの特別職「四殿内(ユトゥヌチ)」が誕生しました。この四職は、第二尚氏ゆかりの特別職であり、他の地域では全く見られない特別職と言えます。

 銘苅家は、1977年6月27日に、国の重要文化財(有形建造物)に指定されていますが、国指定の重要文化財としては伊是名村で唯一のものとなっています。
 伊是名集落内に存在しており、県道沿いの案内標識もありますので、アクセスは容易です。駐車場は無いので、隣接の広場へ駐車してください。

 銘苅家は「伊平屋島の夫地頭(ぶじとう)(銘苅大屋子(めかるうふやこ))」職を世襲制で務めた家で、第二尚氏王統の始祖・尚円王の叔父の子孫の家系です。夫地頭とは、地頭代(間切行政の現地最高責任者で、現代の村長に相当します。)の補佐役であり、非常勤で、任期は一般に3年、定員は間切によって2~8名で異なりましたが、伊是名島では定員6名でした。伊是名島の夫地頭は、銘苅家以外の他の5名は平民から任用されました。銘苅家のみが士族で、大屋子(「大屋子」は、中央官人としての役職と、地方官人としての役職があり、銘苅大屋子に関しては後者に当たります。)の一人は銘苅家の当主が就任できるという特例になっていました。主として、王家に関する祭祀や行事を担当する地位にあり、島に住む王族を代表する者としてしばしば首里に出張し国王に謁見していました。銘苅家住宅の門に入ると、先ず正面にヒンプン(屏風、家の門の内側にある目隠しのことです。)が立ち、右側には屋根付きの門が立ち、女性は門、男性はヒンプンの左側から出入りしていました。建物は赤瓦葺きで、母屋の右手には来客をもてなす部屋、左手には家畜小屋として使われていた離れがあります。こうした造りは、琉球士族の家の特徴を表しています。現在の銘苅家住宅は、1906年に再建されました。沖縄戦の被害を免れたことで琉球建築民家の中でも保存がよく、上級士族住宅の格式ある違例として、極めて貴重な文化財となっています。銘苅殿内(ドゥンチ)と呼ばれることもあります。

 伊是名島の現字諸見出身の農民であった尚円王(北の松金(ニシヌマチガニ)・金丸)が島を出て天下人になったために、島に居住する姉・叔父・叔母の3名に特別職が与えられました。姉の真世仁金(マゼニガニ)には「伊平屋の阿母加那志(アンジャナシー)」という神女職が、叔父の真三良(まさぶろう/マサンラー)には「銘苅大屋子」という特別職が、叔母の真世仁金(マゼニガニ)には「二かや田の阿母」という神女職が与えられ、代々世襲されることになりました。しかし、叔母の真世仁金が亡くなった後には、その2人の娘が同時に「二かや田の阿母」職を継ぎ、「南風(姉)」と「北(妹)」の2つに分かれました。そして、銘苅大屋子は男子のみ、他の3家は女性が代々世襲しました。このようにして、アンジャナシー「ウドゥン(名嘉家)」、ミケル「銘苅家」、フェーヌタハダ「玉城家」、ニシヌタハダ「伊礼家」の4つの特別職「四殿内(ユトゥヌチ)」が誕生しました。この四職は、第二尚氏ゆかりの特別職であり、他の地域では全く見られない特別職と言えます。

 銘苅家は、1977年6月27日に、国の重要文化財(有形建造物)に指定されていますが、国指定の重要文化財としては伊是名村で唯一のものとなっています。
 伊是名集落内に存在しており、県道沿いの案内標識もありますので、アクセスは容易です。駐車場は無いので、隣接の広場へ駐車してください。

〒905-0604
沖縄県伊是名村伊是名