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ヌヌマチガマ

 沖縄戦時に、野戦病院壕として利用されていたガマで、白梅学徒隊もここで働いていました。現在、平和教育などのために一般公開されていますが、元白梅学徒隊の中山キク氏がどうしても後世に伝えてほしいという言葉は、戦争こそは人類最大の不幸であるということです。

住所

〒901-0512
沖縄県八重瀬町具志頭

HP

https://www.town.yaese.lg.jp/docs/2018070400024/

ヌヌマチガマ

 沖縄戦時に、野戦病院壕として利用されていたガマで、白梅学徒隊もここで働いていました。現在、平和教育などのために一般公開されていますが、元白梅学徒隊の中山キク氏がどうしても後世に伝えてほしいという言葉は、戦争こそは人類最大の不幸であるということです。

 沖縄では自然洞穴のことを「ガマ」といいます。ヌヌマチガマは全長約500mのガマで、西側に入口があり、東側の入口を「ガラビガマ」と呼称しています。ヌヌマチガマは、1945年4月下旬、八重瀬岳にあった「第24師団第一野戦病院壕」で増加する負傷兵を収容できなくなったため、「新城分院」として開設されました。現在は落盤対策等を施し、入口が整備されています。後世に沖縄戦を語り継ぐために、保存公開されています。

 ヌヌマチガマには、軍医・看護婦・衛生兵と、補助看護婦として第一野戦病院に配属されていた沖縄県立第二高等女学校の学徒隊(戦後の呼称は「白梅学徒隊」となっています。)から5人が派遣され、炊き出し・包帯の洗浄などで地元の住民や女子青年も動員されました。ヌヌマチガマには、手術台、病室、2段ベッド等が設置されていましたが、負傷兵の増加に伴い、藁を敷いた地面にも寝かされ、多いときには1000人を超えたといわれています。1945年6月3日‬には、ヌヌマチガマは閉鎖され、翌4日には、第24師団第一野戦病院も閉鎖されました。‬病院の閉鎖に伴い身動きのできない負傷兵たちは、衛生兵によって毒薬の青酸カリを投与されたり、銃剣などで処置(殺害)され、その数は約500人ともいわれています。
 なお、沖縄戦では、八重瀬町の当時の人口の5割近い約7500人の住民が犠牲になりました。

 現在も平和教育に利用されています。
 入壕には事前予約・ガイド同伴が必須となります。詳しくは八重瀬町役場HPをご確認ください。
 
 https://www.town.yaese.lg.jp/docs/2018070400024/

 沖縄では自然洞穴のことを「ガマ」といいます。ヌヌマチガマは全長約500mのガマで、西側に入口があり、東側の入口を「ガラビガマ」と呼称しています。ヌヌマチガマは、1945年4月下旬、八重瀬岳にあった「第24師団第一野戦病院壕」で増加する負傷兵を収容できなくなったため、「新城分院」として開設されました。現在は落盤対策等を施し、入口が整備されています。後世に沖縄戦を語り継ぐために、保存公開されています。

 ヌヌマチガマには、軍医・看護婦・衛生兵と、補助看護婦として第一野戦病院に配属されていた沖縄県立第二高等女学校の学徒隊(戦後の呼称は「白梅学徒隊」となっています。)から5人が派遣され、炊き出し・包帯の洗浄などで地元の住民や女子青年も動員されました。ヌヌマチガマには、手術台、病室、2段ベッド等が設置されていましたが、負傷兵の増加に伴い、藁を敷いた地面にも寝かされ、多いときには1000人を超えたといわれています。1945年6月3日‬には、ヌヌマチガマは閉鎖され、翌4日には、第24師団第一野戦病院も閉鎖されました。‬病院の閉鎖に伴い身動きのできない負傷兵たちは、衛生兵によって毒薬の青酸カリを投与されたり、銃剣などで処置(殺害)され、その数は約500人ともいわれています。
 なお、沖縄戦では、八重瀬町の当時の人口の5割近い約7500人の住民が犠牲になりました。

 現在も平和教育に利用されています。
 入壕には事前予約・ガイド同伴が必須となります。詳しくは八重瀬町役場HPをご確認ください。
 
 https://www.town.yaese.lg.jp/docs/2018070400024/

〒901-0512
沖縄県八重瀬町具志頭