屋富祖井(ヤフガー)は、仲間地域の西端にある井泉で、周りは金網のフェンスで囲まれていますが、立派な石積みが三段にわたって構築された規模の大きい湧水池となっています。屋富祖井を普通に読むとヤフソガーとなりますが、いつしか発音が変わってヤフガーと呼ばれるようになったと伝わっています。仲間地域は、厚い琉球石灰岩の層の上に立地していますので、積井(チンガー)を設けることは不可能で、天水以外の飲料水など生活用水のすべてをこの井泉に頼っていました。屋富祖井に、現在のような水汲場、洗濯場、家畜浴場等の設備がなされたのは、1919年(大正8年)のことであり、1923年(大正12年)には摂政宮殿下の御成婚を記念して石碑が建立されました。石垣と金網の間を通っていくと、湧水の真裏に摂政宮御成婚記念碑があります。同碑には、沖縄戦時の弾痕が残っています。石垣の上には水道ポンプの管理小屋が建っています。
屋富祖井について次のような伝説があります。
「昔、大旱魃に会い、具志上村、屋富祖村の人々は飲料水の確保に苦しんでいました。ところで、たまたま、屋富祖家の犬がずぶ濡れになって山中から出てくるのを人々は見付け、このような旱魃に田野に水があるわけはないが、どこで浴びたのだろうかと不審に思い、ある日、その犬が、山中にわけて行く後を追いました。すると、果たせるかな清水がこんこんと湧き出る泉がありました。人々は大いに喜び、その周囲の山を切り開き設備を施し通路を設けました。そして、ここから水を汲むようになり、以後いかなる旱魃にも飲料水に苦しむことはなかったといわれています。そして、その犬が屋富祖家の所有であることにちなんで、屋富祖井と呼ぶようになりました。」
屋富祖井は、「日本の重要湿地500」に指定されています。
屋富祖井(ヤフガー)は、仲間地域の西端にある井泉で、周りは金網のフェンスで囲まれていますが、立派な石積みが三段にわたって構築された規模の大きい湧水池となっています。屋富祖井を普通に読むとヤフソガーとなりますが、いつしか発音が変わってヤフガーと呼ばれるようになったと伝わっています。仲間地域は、厚い琉球石灰岩の層の上に立地していますので、積井(チンガー)を設けることは不可能で、天水以外の飲料水など生活用水のすべてをこの井泉に頼っていました。屋富祖井に、現在のような水汲場、洗濯場、家畜浴場等の設備がなされたのは、1919年(大正8年)のことであり、1923年(大正12年)には摂政宮殿下の御成婚を記念して石碑が建立されました。石垣と金網の間を通っていくと、湧水の真裏に摂政宮御成婚記念碑があります。同碑には、沖縄戦時の弾痕が残っています。石垣の上には水道ポンプの管理小屋が建っています。
屋富祖井について次のような伝説があります。
「昔、大旱魃に会い、具志上村、屋富祖村の人々は飲料水の確保に苦しんでいました。ところで、たまたま、屋富祖家の犬がずぶ濡れになって山中から出てくるのを人々は見付け、このような旱魃に田野に水があるわけはないが、どこで浴びたのだろうかと不審に思い、ある日、その犬が、山中にわけて行く後を追いました。すると、果たせるかな清水がこんこんと湧き出る泉がありました。人々は大いに喜び、その周囲の山を切り開き設備を施し通路を設けました。そして、ここから水を汲むようになり、以後いかなる旱魃にも飲料水に苦しむことはなかったといわれています。そして、その犬が屋富祖家の所有であることにちなんで、屋富祖井と呼ぶようになりました。」
屋富祖井は、「日本の重要湿地500」に指定されています。
〒901-0512
沖縄県八重瀬町具志頭