八重瀬岳は、標高163mの八重瀬町の最高峰の町名の由来となった山です。1945年の沖縄戦における戦闘では、首里から撤退した日本軍の最後の防衛線でした。八重瀬岳と与座岳の断崖は日本軍にとって防衛の要地であり、またアメリカ軍はそびえ立つ山容から「ビッグアップル (Big Apple)」と呼びました。5月下旬、日本軍の第32軍は首里から本島南端の摩文仁に司令部を移転、6月上旬には防衛線を八重瀬岳を主に具志頭から国吉戦線まで築き、独立混成第44旅団が陣を構えていました。アメリカ軍は、6月4日から攻撃陣地の確保を行い、6月9日に攻撃を本格的に開始し、14日にアメリカ軍の第381歩兵連隊により八重瀬岳頂上が占領されました。
なお、八重瀬岳に所在した第24師団第一野戦病院に、沖縄県立第二高等女学校の従軍学徒看護隊(通称「白梅学徒隊」)が配属されました。当初は兵舎で患者の看護を行っていましたが、アメリカ軍の攻撃が激しくなり、八重瀬岳中腹を掘って造られた壕内に野戦病院が移転しました。患者約500人が収容可能でしたが、次第に負傷した兵士で満員となったため、分院が開設されました。6月4日、戦況悪化により野戦病院の解散命令が告げられ、一部の学徒隊は後の糸満市国吉に移動し、当地の壕にある野戦病院で負傷兵の看護に従事しました。除隊した9人を除く白梅学徒隊46人のうち、沖縄戦で17人が死亡しました。
八重瀬岳は、方言で「エージダキ」といい、『中山伝信録』には「八頭嶽」と記載され、『琉球国由来記』(1713年)には「八重瀬嶽御イビ(四御前)」と記載されています。また、富盛には「上の五御嶽」と「下の三御嶽」が存在していたと伝わり、前者の御嶽は八重瀬岳の窪地にあったといわれています。第二尚氏の尚育王は、沖縄本島南部を巡視した際、八重瀬岳に登り、周囲を見渡せる景色を讃えた次のような琉歌を残しています。「八重瀬見下しの野山うち続き空にたなびきゆるむらの霞」(大意:八重瀬岳から見下ろすと、四方に野や山がうち続き、空には一むらがりの霞がたなびいて、のどかな景色だ。)
2005年2月7日、東風平町・具志頭村合併協議会は合併後の町名を、八重瀬岳にちなんだ「八重瀬町」と決定しました。応募総数662点から選定されましたが、理由として八重瀬岳は沖縄本島南部のシンボル的存在であり、また両町村にとって身近で、知名度が高いことが挙げられました。翌2006年1月1日、両町村は「八重瀬町」として合併しました。
現在、八重瀬岳には陸上自衛隊八重瀬分屯地が置かれています。また、付近には、同駐屯地の南与座高射教育訓練場があり、また、航空自衛隊に所属する与座岳分屯基地の受信所が八重瀬岳に設けられています。
八重瀬岳は、標高163mの八重瀬町の最高峰の町名の由来となった山です。1945年の沖縄戦における戦闘では、首里から撤退した日本軍の最後の防衛線でした。八重瀬岳と与座岳の断崖は日本軍にとって防衛の要地であり、またアメリカ軍はそびえ立つ山容から「ビッグアップル (Big Apple)」と呼びました。5月下旬、日本軍の第32軍は首里から本島南端の摩文仁に司令部を移転、6月上旬には防衛線を八重瀬岳を主に具志頭から国吉戦線まで築き、独立混成第44旅団が陣を構えていました。アメリカ軍は、6月4日から攻撃陣地の確保を行い、6月9日に攻撃を本格的に開始し、14日にアメリカ軍の第381歩兵連隊により八重瀬岳頂上が占領されました。
なお、八重瀬岳に所在した第24師団第一野戦病院に、沖縄県立第二高等女学校の従軍学徒看護隊(通称「白梅学徒隊」)が配属されました。当初は兵舎で患者の看護を行っていましたが、アメリカ軍の攻撃が激しくなり、八重瀬岳中腹を掘って造られた壕内に野戦病院が移転しました。患者約500人が収容可能でしたが、次第に負傷した兵士で満員となったため、分院が開設されました。6月4日、戦況悪化により野戦病院の解散命令が告げられ、一部の学徒隊は後の糸満市国吉に移動し、当地の壕にある野戦病院で負傷兵の看護に従事しました。除隊した9人を除く白梅学徒隊46人のうち、沖縄戦で17人が死亡しました。
八重瀬岳は、方言で「エージダキ」といい、『中山伝信録』には「八頭嶽」と記載され、『琉球国由来記』(1713年)には「八重瀬嶽御イビ(四御前)」と記載されています。また、富盛には「上の五御嶽」と「下の三御嶽」が存在していたと伝わり、前者の御嶽は八重瀬岳の窪地にあったといわれています。第二尚氏の尚育王は、沖縄本島南部を巡視した際、八重瀬岳に登り、周囲を見渡せる景色を讃えた次のような琉歌を残しています。「八重瀬見下しの野山うち続き空にたなびきゆるむらの霞」(大意:八重瀬岳から見下ろすと、四方に野や山がうち続き、空には一むらがりの霞がたなびいて、のどかな景色だ。)
2005年2月7日、東風平町・具志頭村合併協議会は合併後の町名を、八重瀬岳にちなんだ「八重瀬町」と決定しました。応募総数662点から選定されましたが、理由として八重瀬岳は沖縄本島南部のシンボル的存在であり、また両町村にとって身近で、知名度が高いことが挙げられました。翌2006年1月1日、両町村は「八重瀬町」として合併しました。
現在、八重瀬岳には陸上自衛隊八重瀬分屯地が置かれています。また、付近には、同駐屯地の南与座高射教育訓練場があり、また、航空自衛隊に所属する与座岳分屯基地の受信所が八重瀬岳に設けられています。
〒901-0402
沖縄県八重瀬町富盛