SPOTスポット

八重瀬公園③第一野戦病院壕跡(上の壕)

 アメリカ軍がビッグアップル (Big Apple) と呼んでいた、沖縄戦の最激戦地、八重瀬岳の中腹の野戦病院壕跡で、ここでは白梅学徒隊が看護をしていました。

住所

〒901-0503
沖縄県八重瀬町新城

八重瀬公園③第一野戦病院壕跡(上の壕)

 アメリカ軍がビッグアップル (Big Apple) と呼んでいた、沖縄戦の最激戦地、八重瀬岳の中腹の野戦病院壕跡で、ここでは白梅学徒隊が看護をしていました。

 第24師団第一野戦病院壕跡は、八重瀬岳の中腹、八重瀬公園の入口に位置しています。この壕は通称上の壕と呼ばれるもので、戦況の悪化に伴い1945年3月下旬から陸軍の野戦病院として使用された壕です。ここでは、解散命令が出る同年6月4日まで、白梅学徒隊が24時間体制で看護を続けました。

 八重瀬岳に置かれた第24師団第一野戦病院には、沖縄県立第二高等女学校の従軍学徒看護隊 (戦後、白梅学徒隊と呼ばれるようになりました。) が配属されました。1945年 3月23日にはアメリカ軍が沖縄本島への上陸を見据えた攻撃を開始したため、看護教育期間を切り上げて、即日に動員されました。当初は兵舎で患者の看護を行っていましたが、アメリカ軍の攻撃が激しくなり、八重瀬岳中腹を掘って造られた壕内に野戦病院を移転しました。ここでは、多い時には患者500人の収容可能人数を超える患者の面倒を見ていました。6月4日、戦況の悪化により野戦病院の解散命令が告げられました。一部の学徒隊は糸満市国吉に移動し、当地の壕にある山第一野戦病院に合流し、負傷兵の看護に従事しました。除隊した9人を除く白梅学徒隊46人のうち、沖縄戦で17人が死亡しました。糸満市国吉真栄里には白梅学徒隊の戦死者の冥福を祈った白梅の塔が建てられています。

 琉球石灰岩に開いた壕口の様子が見学できます。壕の中は崩落の危険があるため、入ることはできません。
 入口近くには駐車場があり、簡易な階段が整備されています。

 第24師団第一野戦病院壕跡は、八重瀬岳の中腹、八重瀬公園の入口に位置しています。この壕は通称上の壕と呼ばれるもので、戦況の悪化に伴い1945年3月下旬から陸軍の野戦病院として使用された壕です。ここでは、解散命令が出る同年6月4日まで、白梅学徒隊が24時間体制で看護を続けました。

 八重瀬岳に置かれた第24師団第一野戦病院には、沖縄県立第二高等女学校の従軍学徒看護隊 (戦後、白梅学徒隊と呼ばれるようになりました。) が配属されました。1945年 3月23日にはアメリカ軍が沖縄本島への上陸を見据えた攻撃を開始したため、看護教育期間を切り上げて、即日に動員されました。当初は兵舎で患者の看護を行っていましたが、アメリカ軍の攻撃が激しくなり、八重瀬岳中腹を掘って造られた壕内に野戦病院を移転しました。ここでは、多い時には患者500人の収容可能人数を超える患者の面倒を見ていました。6月4日、戦況の悪化により野戦病院の解散命令が告げられました。一部の学徒隊は糸満市国吉に移動し、当地の壕にある山第一野戦病院に合流し、負傷兵の看護に従事しました。除隊した9人を除く白梅学徒隊46人のうち、沖縄戦で17人が死亡しました。糸満市国吉真栄里には白梅学徒隊の戦死者の冥福を祈った白梅の塔が建てられています。

 琉球石灰岩に開いた壕口の様子が見学できます。壕の中は崩落の危険があるため、入ることはできません。
 入口近くには駐車場があり、簡易な階段が整備されています。

〒901-0503
沖縄県八重瀬町新城

トップへ戻る