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八重瀬公園②八重瀬グスク

 グスクへ続く公園内の両脇の階段には約500本ほどの寒緋桜(カンヒザクラ)が並び、桜の名所としても有名です。高台にあり、遠く首里やケラマ諸島、東シナ海を見渡すことができます。

住所

〒901-0503
沖縄県八重瀬町新城

八重瀬公園②八重瀬グスク

 グスクへ続く公園内の両脇の階段には約500本ほどの寒緋桜(カンヒザクラ)が並び、桜の名所としても有名です。高台にあり、遠く首里やケラマ諸島、東シナ海を見渡すことができます。

 八重瀬グスクは、標高163mの八重瀬岳の北側崖下の標高105~114mの起伏に富んだ琉球石灰岩の台地上に築城されたグスクです。南部のサクラ祭りの名所として、その名を知られるようになった八重瀬公園内にあります。グスクの総面積は4231㎡で、物見台跡を含む本殿跡、倉庫跡と伝承される蔵当(クラントー)跡の二つの郭からなる連郭式のグスクとなっています。本殿跡は広場となっていますが、当該広場の南から西にかけて、幅約2m、高さ1~1.5mの野面積みの石垣がグスクを囲むようにL字状に残り、めぐっています。また「蔵当」は「本殿跡」より高所に存在し、岩山の「物見台跡」から東シナ海を遠望できます。現在でもグスク内には、「城火の神」、「ナカジク火の神」、「グスク井泉」と呼ばれる3か所の拝所・井泉があり、富盛集落の人たちの深い信仰の場となっています。

 八重瀬グスクには、本来3mの石垣がありましたが、道路整備の材料に使用されたため多くが根石部分が残るのみとなっています。1976年の調査では、グスク入口近くに門跡、「蔵当」に掘っ立て柱建物の跡が発見され、明時代の青磁や白磁、ほかに銀貨やガラス玉も出土しました。このグスクを築いたのは、一説では、南山王承察度(しょうさっと)の叔父である汪英紫(おうえいそ)と伝わっています。汪英紫は下世之主(しものよのぬし)と名乗り、八重瀬グスクを中心に島尻の各グスクを次々と攻略し、島添大里グスクを攻め取った後は、八重瀬グスクから島添大里グスクに居城を移しました。そして、一族などを八重瀬グスクの城主に据え、汪英紫の長男の達勃期(たぶち)や、最後の南山王の他魯毎(たるみー)の弟がここの城主であったとも伝わっています。尚巴志が南山王の他魯毎を滅ぼした後、尚巴志の四男が八重瀬按司となったともいわれています。

 現在、八重瀬岳頂上部は陸上自衛隊の基地となっています。
 ハブに注意してください。

 八重瀬グスクは、標高163mの八重瀬岳の北側崖下の標高105~114mの起伏に富んだ琉球石灰岩の台地上に築城されたグスクです。南部のサクラ祭りの名所として、その名を知られるようになった八重瀬公園内にあります。グスクの総面積は4231㎡で、物見台跡を含む本殿跡、倉庫跡と伝承される蔵当(クラントー)跡の二つの郭からなる連郭式のグスクとなっています。本殿跡は広場となっていますが、当該広場の南から西にかけて、幅約2m、高さ1~1.5mの野面積みの石垣がグスクを囲むようにL字状に残り、めぐっています。また「蔵当」は「本殿跡」より高所に存在し、岩山の「物見台跡」から東シナ海を遠望できます。現在でもグスク内には、「城火の神」、「ナカジク火の神」、「グスク井泉」と呼ばれる3か所の拝所・井泉があり、富盛集落の人たちの深い信仰の場となっています。

 八重瀬グスクには、本来3mの石垣がありましたが、道路整備の材料に使用されたため多くが根石部分が残るのみとなっています。1976年の調査では、グスク入口近くに門跡、「蔵当」に掘っ立て柱建物の跡が発見され、明時代の青磁や白磁、ほかに銀貨やガラス玉も出土しました。このグスクを築いたのは、一説では、南山王承察度(しょうさっと)の叔父である汪英紫(おうえいそ)と伝わっています。汪英紫は下世之主(しものよのぬし)と名乗り、八重瀬グスクを中心に島尻の各グスクを次々と攻略し、島添大里グスクを攻め取った後は、八重瀬グスクから島添大里グスクに居城を移しました。そして、一族などを八重瀬グスクの城主に据え、汪英紫の長男の達勃期(たぶち)や、最後の南山王の他魯毎(たるみー)の弟がここの城主であったとも伝わっています。尚巴志が南山王の他魯毎を滅ぼした後、尚巴志の四男が八重瀬按司となったともいわれています。

 現在、八重瀬岳頂上部は陸上自衛隊の基地となっています。
 ハブに注意してください。

〒901-0503
沖縄県八重瀬町新城

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