宿道とは、琉球王朝時代(1429年~1879年)に、首里王府を起点に整備された沖縄本島各地への幹線道路です。金武町には、その宿道の一つである「国頭方東海道(くにがみほうとうかいどう)」が通っていました。1881年、県内各地を視察した県令の上杉茂憲の記録には、「坂アリ螺旋シテ下ル」(大意:坂があり、らせん状に下っていく)と、この場所を記しています。現在の宿道跡の遺構は、長さ約33m、道幅は約3mとなっています。
なお、王朝時代の宿道を再現するため、両脇に松を植えています。
2006年、金武ダム予定地周辺の文化財分布調査で、敷地内の高台から億首川までの高低差約6mの斜面に、石段や石材がつづら折りに続く道が見つかり、文献資料などから宿道の「国頭方東海道」と判明しました。ダム建設に伴い、発掘現場を含めて整備する必要があるとして、遺構を構成する石材の一つずつに番号を振るなどして別の場所で一時保管しました。ダム本体の工事が終了した2013年10月頃から、石材を一つずつ元に戻す作業を開始し、2014年3月末に宿道の復元を終了しました。
ダム工事で高さが変わったため、再現箇所は本来よりも10mほど低くなっていますが、石材の位置などはそのままとなっています。
近くに駐車場があります。また、トイレ休憩も可能です。
宿道とは、琉球王朝時代(1429年~1879年)に、首里王府を起点に整備された沖縄本島各地への幹線道路です。金武町には、その宿道の一つである「国頭方東海道(くにがみほうとうかいどう)」が通っていました。1881年、県内各地を視察した県令の上杉茂憲の記録には、「坂アリ螺旋シテ下ル」(大意:坂があり、らせん状に下っていく)と、この場所を記しています。現在の宿道跡の遺構は、長さ約33m、道幅は約3mとなっています。
なお、王朝時代の宿道を再現するため、両脇に松を植えています。
2006年、金武ダム予定地周辺の文化財分布調査で、敷地内の高台から億首川までの高低差約6mの斜面に、石段や石材がつづら折りに続く道が見つかり、文献資料などから宿道の「国頭方東海道」と判明しました。ダム建設に伴い、発掘現場を含めて整備する必要があるとして、遺構を構成する石材の一つずつに番号を振るなどして別の場所で一時保管しました。ダム本体の工事が終了した2013年10月頃から、石材を一つずつ元に戻す作業を開始し、2014年3月末に宿道の復元を終了しました。
ダム工事で高さが変わったため、再現箇所は本来よりも10mほど低くなっていますが、石材の位置などはそのままとなっています。
近くに駐車場があります。また、トイレ休憩も可能です。
〒904-1201
沖縄県金武町金武