沖縄県総合運動公園は、沖縄市と北中城村にまたがる約60haにも及ぶ広大な敷地を有しています。このうち3分の2は沖縄市の区域になっていますが、奥武岬の周辺は北中城村の区域となっています。
奥武岬のユニは、大規模な干潟である泡瀬干潟でも著名な中城湾にあり、干潮時には潮が引いて、かなりの沖合まで砂でできた道ができます。風が強くない時は、その先端部まで歩いて行くこともできます。
現在、奥武岬は、オーザチ、あるいはオーグヮーと称され、陸繫島になっていますが、かつてはオージマと呼ばれる離れ小島でした。明治の末頃に腐植土や砂のたい積が進んで湿地帯となり、次第に田地(シナダー(砂交じりの田))となって耕作が始められました。この奥武岬の先端から東に、津堅島に向かっておよそ400mも真っ白い砂のたい積が見られ、この白砂の堆積をユニと言い表しています。これは、米(ヨネ)からの連想で豊穣を祈る気持ちからの命名であろうと思われます。
気象条件や潮の干満の状況によっては先端部まで行けないこともあります。
沖縄県総合運動公園は、沖縄市と北中城村にまたがる約60haにも及ぶ広大な敷地を有しています。このうち3分の2は沖縄市の区域になっていますが、奥武岬の周辺は北中城村の区域となっています。
奥武岬のユニは、大規模な干潟である泡瀬干潟でも著名な中城湾にあり、干潮時には潮が引いて、かなりの沖合まで砂でできた道ができます。風が強くない時は、その先端部まで歩いて行くこともできます。
現在、奥武岬は、オーザチ、あるいはオーグヮーと称され、陸繫島になっていますが、かつてはオージマと呼ばれる離れ小島でした。明治の末頃に腐植土や砂のたい積が進んで湿地帯となり、次第に田地(シナダー(砂交じりの田))となって耕作が始められました。この奥武岬の先端から東に、津堅島に向かっておよそ400mも真っ白い砂のたい積が見られ、この白砂の堆積をユニと言い表しています。これは、米(ヨネ)からの連想で豊穣を祈る気持ちからの命名であろうと思われます。
気象条件や潮の干満の状況によっては先端部まで行けないこともあります。
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沖縄県沖縄市比屋根