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中城若松(なかぐすくわかまつ)の墓

 玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)作の組踊の主人公のモデルにもなった、かつての安谷屋(あだにや)按司の墓です。

住所

〒901-2316
沖縄県北中城村安谷屋

中城若松(なかぐすくわかまつ)の墓

 玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)作の組踊の主人公のモデルにもなった、かつての安谷屋(あだにや)按司の墓です。

 中城若松は、安谷屋(あだにや)の若松ともいい、玉城朝薫作の組踊「執心鐘入」(1719年)の主人公のモデルとなった人物といわれています。中城若松は尚円王(金丸)と安谷屋ノロとの間に生まれた子供ともいわれ、父が王位に就いてから、若松は安谷屋城主となり、安谷屋按司となりました。その後、異母兄弟の尚真が王位に即位して、尚真が推し進めた中央集権により首里に上り、上間村(現在の那覇市上間)の地頭職に就き、上間親方を名乗りました。中城若松は「章氏」の始祖となったといわれています。中城若松は上間で亡くなりましたが、死後、遺言により故郷の安谷屋に葬られたと伝えられています。中城若松の墓は、安谷屋集落の後方丘陵の通称ユナハン(与那嶺)の山頂にあります。墓口は、岩の頂上付近にあるといわれ、岩の前に切石を積んで囲んだ墓庭があります。

 中城若松は、首里王府の小赤頭(給仕役)を務め、母の実家である安谷屋村から通っていました。稀にみる美少年であったため、首里へ通う彼を見ようと、乙女たちは胸をときめかせていたと伝えられています。古謡「おもろさうし」には、「あはれ若松、肝あぐみの若松」(大意:立派な若松、愛されている若松)」と謡われています。

 中城若松の墓は、1982年3月18日、北中城村の史跡に指定されています。
 中城若松の墓の裏側の岩陰墓には、若松の妻と母の墓があります。
 若松公園内に所在し、周辺には中城若松の火の神、根所火の神などがあります。

 中城若松は、安谷屋(あだにや)の若松ともいい、玉城朝薫作の組踊「執心鐘入」(1719年)の主人公のモデルとなった人物といわれています。中城若松は尚円王(金丸)と安谷屋ノロとの間に生まれた子供ともいわれ、父が王位に就いてから、若松は安谷屋城主となり、安谷屋按司となりました。その後、異母兄弟の尚真が王位に即位して、尚真が推し進めた中央集権により首里に上り、上間村(現在の那覇市上間)の地頭職に就き、上間親方を名乗りました。中城若松は「章氏」の始祖となったといわれています。中城若松は上間で亡くなりましたが、死後、遺言により故郷の安谷屋に葬られたと伝えられています。中城若松の墓は、安谷屋集落の後方丘陵の通称ユナハン(与那嶺)の山頂にあります。墓口は、岩の頂上付近にあるといわれ、岩の前に切石を積んで囲んだ墓庭があります。

 中城若松は、首里王府の小赤頭(給仕役)を務め、母の実家である安谷屋村から通っていました。稀にみる美少年であったため、首里へ通う彼を見ようと、乙女たちは胸をときめかせていたと伝えられています。古謡「おもろさうし」には、「あはれ若松、肝あぐみの若松」(大意:立派な若松、愛されている若松)」と謡われています。

 中城若松の墓は、1982年3月18日、北中城村の史跡に指定されています。
 中城若松の墓の裏側の岩陰墓には、若松の妻と母の墓があります。
 若松公園内に所在し、周辺には中城若松の火の神、根所火の神などがあります。

〒901-2316
沖縄県北中城村安谷屋

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