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喜舎場公(きしゃばこう)の墓

 かつての喜舎場(きしゃば)村の創健者の墓で、喜舎場集落の重要な拝所となっています。

住所

〒901-2311
沖縄県北中城村喜舎場

喜舎場公(きしゃばこう)の墓

 かつての喜舎場(きしゃば)村の創健者の墓で、喜舎場集落の重要な拝所となっています。

 喜舎場公の墓は、喜舎場公園の後方丘陵の頂上部にあります。琉球石灰岩の上に石を積み上げ、8段の階段の上に宝珠が供えられ、反りのある方形の屋根をのせた石の祠が建てられています。墓碑が向かって右に建ち、「昭和十二年八月建設」の銘があります。喜舎場公は、喜舎場村の創建者といわれています。。

 琉球王国の正史として1745年に編纂された歴史書である『球陽』の外巻『遺老説伝』には「往昔、喜舎場公ナル者有リ、此ノ邑ヲ創建ス。因リテ喜舎場村ト名ヅク。是レ故ニ今ニ至ルマデ毎年二月、村長皆其ノ墓ヲ祭ル。墓ハ本村後岩ニ在リ」(大意:昔、喜舎場公という人がいて、この村を創建しました。よって喜舎場村と名付けました。それで今に至るまで、毎年二月に村長を始め皆、その墓を参拝します。墓は、喜舎場村の後ろ(後方)の岩にあります。)と記されています。この記述のように、かつては2月に祀っていましたが、現在では、旧暦9月18日に例祭が行われます。
なお、喜舎場公は、仲順(ちゅんじゅん)大主と同時代の者であるといわれているので、13世紀初頭の人物であると推定されます。墓所の南、喜舎場の殿(トゥン)の下方にある仲間根所(現在は、屋敷に火の神のみがあります。)は、喜舎場公の直系にあたるといわれています。

 喜舎場公の墓の正面には更に大岩を上る石段があります。岩間に架けられた石橋を含めて登り詰めると、喜舎場公の子孫が眠る石造りの「喜舎場公之子孫上代之墓」があります。そして、更に、その先の急な石段を降り、左側の通路の奥に、「喜舎場村祖先御墓」(アーマンチューの墓)があります。現在、③で記したように、旧暦9月18日に例祭が執り行われており、ムラシーミー(字の清明祭)には「喜舎場公の墓」と「喜舎場公之子孫上代之墓」とともに拝まれています。

 喜舎場公の墓は、喜舎場公園の後方丘陵の頂上部にあります。琉球石灰岩の上に石を積み上げ、8段の階段の上に宝珠が供えられ、反りのある方形の屋根をのせた石の祠が建てられています。墓碑が向かって右に建ち、「昭和十二年八月建設」の銘があります。喜舎場公は、喜舎場村の創建者といわれています。。

 琉球王国の正史として1745年に編纂された歴史書である『球陽』の外巻『遺老説伝』には「往昔、喜舎場公ナル者有リ、此ノ邑ヲ創建ス。因リテ喜舎場村ト名ヅク。是レ故ニ今ニ至ルマデ毎年二月、村長皆其ノ墓ヲ祭ル。墓ハ本村後岩ニ在リ」(大意:昔、喜舎場公という人がいて、この村を創建しました。よって喜舎場村と名付けました。それで今に至るまで、毎年二月に村長を始め皆、その墓を参拝します。墓は、喜舎場村の後ろ(後方)の岩にあります。)と記されています。この記述のように、かつては2月に祀っていましたが、現在では、旧暦9月18日に例祭が行われます。
なお、喜舎場公は、仲順(ちゅんじゅん)大主と同時代の者であるといわれているので、13世紀初頭の人物であると推定されます。墓所の南、喜舎場の殿(トゥン)の下方にある仲間根所(現在は、屋敷に火の神のみがあります。)は、喜舎場公の直系にあたるといわれています。

 喜舎場公の墓の正面には更に大岩を上る石段があります。岩間に架けられた石橋を含めて登り詰めると、喜舎場公の子孫が眠る石造りの「喜舎場公之子孫上代之墓」があります。そして、更に、その先の急な石段を降り、左側の通路の奥に、「喜舎場村祖先御墓」(アーマンチューの墓)があります。現在、③で記したように、旧暦9月18日に例祭が執り行われており、ムラシーミー(字の清明祭)には「喜舎場公の墓」と「喜舎場公之子孫上代之墓」とともに拝まれています。

〒901-2311
沖縄県北中城村喜舎場

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