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鰹節製造工場跡

 現在、渡嘉敷小・中学校の北側に、村の人々がイヒッピジャーラと呼んでいる小川が流れています。この小川の川岸の傍でレンガ造りの煙突が一本立っています。この地が昭和30年代後半前まで操業していた鰹節製造工場跡となっています。

住所

〒901-3501
沖縄県渡嘉敷村渡嘉敷1728

鰹節製造工場跡

 現在、渡嘉敷小・中学校の北側に、村の人々がイヒッピジャーラと呼んでいる小川が流れています。この小川の川岸の傍でレンガ造りの煙突が一本立っています。この地が昭和30年代後半前まで操業していた鰹節製造工場跡となっています。

 字渡嘉敷1728にある工作物です。
 鰹漁は明治36年から行われ、同年、鰹節製造工場ができました。
 鰹漁により、貧しかった村民の暮らしが徐々に豊かになっていき、戦前は村の一大産業として栄えました。

 イヒッピジャーラは、今でこそ水量が少ないですが、上流の方にダムができるまでは水が豊富に流れ、水を大量に使う鰹節製造工場の立地条件としては最適でした。鰹漁が行われる以前は、くり舟を利用した一本釣りの沿岸漁業と、山から松材を切出し主に那覇方面へ薪として売って生計を立てる程度で、生活は貧しい状況でした。鰹漁が盛んになり大型船で操業するようになると、村民の生活もしだいに豊かになっていきました。明治の中頃までかやぶきの家が多かった渡嘉敷村も、鰹漁の収益が増えるにつれて瓦ぶきの家が多くなっていきました。1960年代に入り鰹の漁獲高も徐々に減り、平行して、1962年、赤間山に米軍のミサイル基地が造られたため、鰹漁は後継者を失い、1964年、50年余り続いた鰹漁や鰹節製造工場は操業を停止しました。

 渡嘉敷港から徒歩5分弱で渡嘉敷駐在所の後ろにあります。
 駐車場はありません。

 字渡嘉敷1728にある工作物です。
 鰹漁は明治36年から行われ、同年、鰹節製造工場ができました。
 鰹漁により、貧しかった村民の暮らしが徐々に豊かになっていき、戦前は村の一大産業として栄えました。

 イヒッピジャーラは、今でこそ水量が少ないですが、上流の方にダムができるまでは水が豊富に流れ、水を大量に使う鰹節製造工場の立地条件としては最適でした。鰹漁が行われる以前は、くり舟を利用した一本釣りの沿岸漁業と、山から松材を切出し主に那覇方面へ薪として売って生計を立てる程度で、生活は貧しい状況でした。鰹漁が盛んになり大型船で操業するようになると、村民の生活もしだいに豊かになっていきました。明治の中頃までかやぶきの家が多かった渡嘉敷村も、鰹漁の収益が増えるにつれて瓦ぶきの家が多くなっていきました。1960年代に入り鰹の漁獲高も徐々に減り、平行して、1962年、赤間山に米軍のミサイル基地が造られたため、鰹漁は後継者を失い、1964年、50年余り続いた鰹漁や鰹節製造工場は操業を停止しました。

 渡嘉敷港から徒歩5分弱で渡嘉敷駐在所の後ろにあります。
 駐車場はありません。

〒901-3501
沖縄県渡嘉敷村渡嘉敷1728