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宜野座野戦病院跡

 現在は宜野座小学校のグラウンドになっていますが、沖縄戦時は米軍の民間人収容地に設けられた野戦病院がありました。同じ沖縄島内でも、中南部の「戦場」とは異なる沖縄戦の悲惨な側面を知ることができます。

住所

〒904-1302
沖縄県宜野座村宜野座

宜野座野戦病院跡

 現在は宜野座小学校のグラウンドになっていますが、沖縄戦時は米軍の民間人収容地に設けられた野戦病院がありました。同じ沖縄島内でも、中南部の「戦場」とは異なる沖縄戦の悲惨な側面を知ることができます。

 沖縄戦時の1945年6月、米軍は現在の宜野座小学校の周辺に野戦病院を設置しました。なお、宜野座村地域には、野戦病院の他にも軽度の患者に対応する診療所が設けられ、同年10月には、現在の宜野座高等学校の周辺に専門の医療スタッフを有する「宜野座病院」が設置されていました。

 宜野座野戦病院では、テント張りに寝台を置いただけの病棟に、戦場である沖縄島の中南部で捕虜にした民間人(老人、婦人、子供など)が収容され、ケガや病気の治療が施されていました。野戦病院に収容された患者は、戦場で負ったケガで破傷風になった者や火傷を負った者、栄養失調で弱った者、マラリア等の病気になった者がいました。病院では1日2回の食事が出ましたが、十分な量はなく衰弱して亡くなる方もいました。このように、沖縄戦時の宜野座村地域では1日に15名程が亡くなりましたが、多い日には32名が亡くなることもあり、遺体は9か所の共同墓地に埋葬されました。

 宜野座野戦病院や宜野座病院の跡地は、現在、宜野座小学校や宜野座高等学校となっているため、詳細について知りたい方は、宜野座村立博物館へ案内しています。

 沖縄戦時の1945年6月、米軍は現在の宜野座小学校の周辺に野戦病院を設置しました。なお、宜野座村地域には、野戦病院の他にも軽度の患者に対応する診療所が設けられ、同年10月には、現在の宜野座高等学校の周辺に専門の医療スタッフを有する「宜野座病院」が設置されていました。

 宜野座野戦病院では、テント張りに寝台を置いただけの病棟に、戦場である沖縄島の中南部で捕虜にした民間人(老人、婦人、子供など)が収容され、ケガや病気の治療が施されていました。野戦病院に収容された患者は、戦場で負ったケガで破傷風になった者や火傷を負った者、栄養失調で弱った者、マラリア等の病気になった者がいました。病院では1日2回の食事が出ましたが、十分な量はなく衰弱して亡くなる方もいました。このように、沖縄戦時の宜野座村地域では1日に15名程が亡くなりましたが、多い日には32名が亡くなることもあり、遺体は9か所の共同墓地に埋葬されました。

 宜野座野戦病院や宜野座病院の跡地は、現在、宜野座小学校や宜野座高等学校となっているため、詳細について知りたい方は、宜野座村立博物館へ案内しています。

〒904-1302
沖縄県宜野座村宜野座