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沖縄戦時の共同墓地

 沖縄戦時、宜野座村地域の民間人収容地には9か所の共同墓地が設けられていました。同じ沖縄島内でも、中南部の「戦場」とは異なる沖縄戦の悲惨な側面を知ることができます。共同墓地の一つである「下袋原共同墓地」の近くには、悲惨な過去とは裏腹の美しい海岸が広がっています。

住所


沖縄県宜野座村

沖縄戦時の共同墓地

 沖縄戦時、宜野座村地域の民間人収容地には9か所の共同墓地が設けられていました。同じ沖縄島内でも、中南部の「戦場」とは異なる沖縄戦の悲惨な側面を知ることができます。共同墓地の一つである「下袋原共同墓地」の近くには、悲惨な過去とは裏腹の美しい海岸が広がっています。

 沖縄戦時の宜野座村地域では、戦争によるケガ・栄養失調・マラリア等の病気によって多くの方が亡くなり、宜野座村地域の民間人収容地に設けられた共同墓地に埋葬されました。宜野座村地域に収容された者の多くは、老人、婦人、子供であり、日本兵や働き盛りの若い男性の多くは、屋嘉収容所(現在の金武町)に入っていたため、墓穴を掘る作業は老人や子供が主体となっていました。埋葬の際、米軍は1つの墓穴に1人を埋めるように指示していたようですが、作業は老人や子供が担っていたため、日々、運ばれてくる遺体の数量に埋葬が間に合わず、仕方なく1つの墓穴に2人以上(多いときは4~5人)を埋めることもありました。なお、宜野座村地域で亡くなった方の多くは、老人、婦人、子供でした。宜野座村の指定文化財(歴史資料)である「古知屋共同墓地」および「福山共同墓地」の死亡者名簿には、合計で1029名の埋葬者が記載されています。

 1983年6月、宜野座村は「シブタ原共同墓地」の遺骨収集を実施し、161柱の遺骨が確認されています。また、2015年2月、宜野座村教育委員会・沖縄県平和祈念財団・NPO法人ガマフヤーが連携して実施した「下袋原共同墓地」の試掘調査では、墓標の破片が確認されています。

 沖縄戦時の共同墓地で遺骨収集を実施する場合は、宜野座村村立博物館へ一報していただき、地権者や関係機関の許可を得た上で実施してください。

 沖縄戦時の宜野座村地域では、戦争によるケガ・栄養失調・マラリア等の病気によって多くの方が亡くなり、宜野座村地域の民間人収容地に設けられた共同墓地に埋葬されました。宜野座村地域に収容された者の多くは、老人、婦人、子供であり、日本兵や働き盛りの若い男性の多くは、屋嘉収容所(現在の金武町)に入っていたため、墓穴を掘る作業は老人や子供が主体となっていました。埋葬の際、米軍は1つの墓穴に1人を埋めるように指示していたようですが、作業は老人や子供が担っていたため、日々、運ばれてくる遺体の数量に埋葬が間に合わず、仕方なく1つの墓穴に2人以上(多いときは4~5人)を埋めることもありました。なお、宜野座村地域で亡くなった方の多くは、老人、婦人、子供でした。宜野座村の指定文化財(歴史資料)である「古知屋共同墓地」および「福山共同墓地」の死亡者名簿には、合計で1029名の埋葬者が記載されています。

 1983年6月、宜野座村は「シブタ原共同墓地」の遺骨収集を実施し、161柱の遺骨が確認されています。また、2015年2月、宜野座村教育委員会・沖縄県平和祈念財団・NPO法人ガマフヤーが連携して実施した「下袋原共同墓地」の試掘調査では、墓標の破片が確認されています。

 沖縄戦時の共同墓地で遺骨収集を実施する場合は、宜野座村村立博物館へ一報していただき、地権者や関係機関の許可を得た上で実施してください。


沖縄県宜野座村