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ニィーブ屋の高石垣

 琉球王府時代、百姓には一般の家屋に石垣を造ることは許されていませんでしたが、このニィーブ屋には特別に認められていること、また、「通用の門」と「特別な門」を設けていることなど、歴史好きには興味深い史跡となっています。

住所

〒904-1301
沖縄県宜野座村松田

ニィーブ屋の高石垣

 琉球王府時代、百姓には一般の家屋に石垣を造ることは許されていませんでしたが、このニィーブ屋には特別に認められていること、また、「通用の門」と「特別な門」を設けていることなど、歴史好きには興味深い史跡となっています。

 後ヌ御嶽の麓にある古地屋村(現在の字松田)の旧家「ニィーブ屋」には、琉球王府時代に造られたとされる屋敷囲いの石垣が残っています。ニィーブ屋の高石垣は、横幅が約23m、厚さが80㎝、高さが177㎝で、家屋に向かって正面と右側の二か所に門が設けられています。正面の門は「通用」で使い、右側の門は「祭祀での神の送迎」や「首里から役人が来た際」に使用していたと伝わっています。
 なお、「正面の門」と屋敷の間に設けられた屏風状の石垣は「ひんぷん」と呼ばれ、外部からの視線を遮る目隠しの機能だけでなく、悪霊を防ぐ役割も担っています。

 高石垣の由来については、ニィーブ屋の先祖が首里の金武御殿(金武間切の領主の御殿)にヤカー(子守)として奉公し、その褒美に高石垣を賜ったと伝わっています。ニィーブ屋は、「松田の十五夜アシビ」で地謡を担う方を多く輩出していますが、先祖が金武御殿でヤカーを務めつつ、首里で歌・踊り・三線などの芸能文化に触れたことが関係していると考えられます。なお、屋号「ニィーブ屋」は、「祭祀の際に神酒を神人や村人に柄杓(ニィーブ)で汲み与える役割を担った家」に由来しています。

 ニィーブ屋は民家のため、見学にはプライバシー等に配慮した注意が必要です。

 後ヌ御嶽の麓にある古地屋村(現在の字松田)の旧家「ニィーブ屋」には、琉球王府時代に造られたとされる屋敷囲いの石垣が残っています。ニィーブ屋の高石垣は、横幅が約23m、厚さが80㎝、高さが177㎝で、家屋に向かって正面と右側の二か所に門が設けられています。正面の門は「通用」で使い、右側の門は「祭祀での神の送迎」や「首里から役人が来た際」に使用していたと伝わっています。
 なお、「正面の門」と屋敷の間に設けられた屏風状の石垣は「ひんぷん」と呼ばれ、外部からの視線を遮る目隠しの機能だけでなく、悪霊を防ぐ役割も担っています。

 高石垣の由来については、ニィーブ屋の先祖が首里の金武御殿(金武間切の領主の御殿)にヤカー(子守)として奉公し、その褒美に高石垣を賜ったと伝わっています。ニィーブ屋は、「松田の十五夜アシビ」で地謡を担う方を多く輩出していますが、先祖が金武御殿でヤカーを務めつつ、首里で歌・踊り・三線などの芸能文化に触れたことが関係していると考えられます。なお、屋号「ニィーブ屋」は、「祭祀の際に神酒を神人や村人に柄杓(ニィーブ)で汲み与える役割を担った家」に由来しています。

 ニィーブ屋は民家のため、見学にはプライバシー等に配慮した注意が必要です。

〒904-1301
沖縄県宜野座村松田

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