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辺戸蔡温松並木保全公園

 琉球王朝時代の古道に沿っている散策路内に、沖縄の歴史上において重要な人物である蔡温が18世紀に植栽したとされる松並木を見ることができます。展望台からは辺戸岬、大石林山を一望することができます。

住所

〒905-1421
沖縄県国頭村辺戸513

辺戸蔡温松並木保全公園

 琉球王朝時代の古道に沿っている散策路内に、沖縄の歴史上において重要な人物である蔡温が18世紀に植栽したとされる松並木を見ることができます。展望台からは辺戸岬、大石林山を一望することができます。

 蔡温(1682~1761年)は、土木とあらゆる分野に才能を発揮した琉球史に残る人物で、当時荒廃していた山林の保全にも尽力しました。今で言う防風林の提案者で、辺戸集落にはその頃植えられたリュウキュウマツの松並木(樹齢150~300年)が30mほど残っており、周囲の集落と合わせて公園として保全されています。至るところにベンチ、広場や展望台など休憩する場所も充実しているため、海岸沿いの松並木まで、琉球王朝時代の古道に沿って整備された散策路(総延長1841m)をのんびりと散策することができます。公園内にはリュウキュウマツの他にもタブノキやイタジイなど、様々な樹木が自生しています。また、琉球王朝時代の古道に沿っている散策路内には、随所に拝所(うがんじょ)があり、今もなお篤い信仰が残る神聖な場所でもあります。展望台からは、広大な海と安須森御嶽を望むことができます。

 蔡温は、琉球王府の三司官(今でいう大臣で、3人制)を25年間も務め、薩摩侵攻により疲弊した琉球において農林漁業の改革を推し進めて、多くの業績を残した人物です。蔡温の時代には、沖縄本島の山林は荒廃し、美しい材木は「やんばる」といわれる本島北部地域にわずかに残るだけでした。それを見かねた蔡温は、1736年各地へ赴き人々に植林を指導し、山林造成のために心血を注ぎました。このリュウキュウマツの松並木も、その頃植栽が行われたとされ、名前の由来となっています。その後、国頭村と辺戸集落が協力して、マツクイムシや台風といった自然災害からこの松並木を守ってきました。2008年に辺戸蔡温松並木保全公園として散策路などが整備されました。

 周囲の集落と合わせた公園づくりは徹底していて、トイレも切り株型のものとなっています。
 公園の入口の200m手前に駐車場(乗用車15台収容可能)があります。

 蔡温(1682~1761年)は、土木とあらゆる分野に才能を発揮した琉球史に残る人物で、当時荒廃していた山林の保全にも尽力しました。今で言う防風林の提案者で、辺戸集落にはその頃植えられたリュウキュウマツの松並木(樹齢150~300年)が30mほど残っており、周囲の集落と合わせて公園として保全されています。至るところにベンチ、広場や展望台など休憩する場所も充実しているため、海岸沿いの松並木まで、琉球王朝時代の古道に沿って整備された散策路(総延長1841m)をのんびりと散策することができます。公園内にはリュウキュウマツの他にもタブノキやイタジイなど、様々な樹木が自生しています。また、琉球王朝時代の古道に沿っている散策路内には、随所に拝所(うがんじょ)があり、今もなお篤い信仰が残る神聖な場所でもあります。展望台からは、広大な海と安須森御嶽を望むことができます。

 蔡温は、琉球王府の三司官(今でいう大臣で、3人制)を25年間も務め、薩摩侵攻により疲弊した琉球において農林漁業の改革を推し進めて、多くの業績を残した人物です。蔡温の時代には、沖縄本島の山林は荒廃し、美しい材木は「やんばる」といわれる本島北部地域にわずかに残るだけでした。それを見かねた蔡温は、1736年各地へ赴き人々に植林を指導し、山林造成のために心血を注ぎました。このリュウキュウマツの松並木も、その頃植栽が行われたとされ、名前の由来となっています。その後、国頭村と辺戸集落が協力して、マツクイムシや台風といった自然災害からこの松並木を守ってきました。2008年に辺戸蔡温松並木保全公園として散策路などが整備されました。

 周囲の集落と合わせた公園づくりは徹底していて、トイレも切り株型のものとなっています。
 公園の入口の200m手前に駐車場(乗用車15台収容可能)があります。

〒905-1421
沖縄県国頭村辺戸513

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