2004年に廃校になった楚洲小中学校は集落の少し南側にあり、楚洲共同店に隣接したところにありました。この発祥之の地の碑の設置年月日は不明ですが、楚洲小学校創立記念事業として建立されたと思われます。
楚洲小学校の前身は、1900年7月1日、現在の楚洲共同店の前に、安田尋常小学校の楚洲分教場が開設されたのが始まりです。そして、1919年8月9日には、楚洲分教場が楚洲尋常小学校として安田尋常小学校より分離独立しました。しかし、1925年4月1日には、楚洲尋常高等小学校は、再び、安田尋常高等小学校の楚洲分教場になっています。1942年4月1日には、楚洲国民学校として独立しました。その後は、楚洲小学校、中学校と統合して楚洲小中学校となっていましたが、2004年、在校生の減少により、楚洲小中学校が閉校となりました。
楚洲から安田までは、車でもかなりの距離があります。人口減が理由とはいえ、楚洲の集落の小中学生の苦労を考えると、過疎地域の人々の生活の厳しさを感じずにはいられません。
2004年に廃校になった楚洲小中学校は集落の少し南側にあり、楚洲共同店に隣接したところにありました。この発祥之の地の碑の設置年月日は不明ですが、楚洲小学校創立記念事業として建立されたと思われます。
楚洲小学校の前身は、1900年7月1日、現在の楚洲共同店の前に、安田尋常小学校の楚洲分教場が開設されたのが始まりです。そして、1919年8月9日には、楚洲分教場が楚洲尋常小学校として安田尋常小学校より分離独立しました。しかし、1925年4月1日には、楚洲尋常高等小学校は、再び、安田尋常高等小学校の楚洲分教場になっています。1942年4月1日には、楚洲国民学校として独立しました。その後は、楚洲小学校、中学校と統合して楚洲小中学校となっていましたが、2004年、在校生の減少により、楚洲小中学校が閉校となりました。
楚洲から安田までは、車でもかなりの距離があります。人口減が理由とはいえ、楚洲の集落の小中学生の苦労を考えると、過疎地域の人々の生活の厳しさを感じずにはいられません。
〒905-1502
沖縄県国頭村楚洲