SPOTスポット

安須森御嶽(辺戸御嶽)

 安須森御嶽は琉球開闢七御嶽の一つであり、アマミキヨが初めて降り立ったいわば天孫降臨の地で、沖縄最高の聖地です。アマミキヨは琉球の始祖でもあるので、参拝することにより、子孫繁栄や無病息災といったご利益を授かることもできるといわれています。辺戸岳からの眺望は、沖縄一といっても過言ではない絶景です。

住所

〒905-1421
沖縄県国頭村辺戸

安須森御嶽(辺戸御嶽)

 安須森御嶽は琉球開闢七御嶽の一つであり、アマミキヨが初めて降り立ったいわば天孫降臨の地で、沖縄最高の聖地です。アマミキヨは琉球の始祖でもあるので、参拝することにより、子孫繁栄や無病息災といったご利益を授かることもできるといわれています。辺戸岳からの眺望は、沖縄一といっても過言ではない絶景です。

 「安須森(あすむい)」は、「琉球国由来記」(1713年)に記されている「アフリ嶽」や「宜野久瀬(ぎのくせ)嶽」の総称で、琉球開闢七御嶽の一つ、アマミキヨが初めて降り立った沖縄最高の聖地とされています。安須森のある辺戸岳は、沖縄本島最北端の辺戸岬から南西約1.5㎞に位置し、上空から望む山体はほぼ楕円形で、南北に1.2㎞、東西に0.9㎞の範囲にわたっています。辺戸集落から眺めると、4つの峰が突出した山容をしており、それぞれ北から順に、「イヘヤ」、「チザラ(シチヤラ嶽)」、「アフリ」、「シヌクシ(宜野久瀬嶽)」と名付けられています。西側と比べて東側の標高が高く、最高点は248.3mとなっています。辺戸岳の麓から流れる辺戸大川は「ウッカー」といわれ、辺戸集落の水源として利用されていました。塔状カルスト地形が見られ、植生は琉球列島の石灰岩地帯で見かけるリュウキュウガキやナガミボチョウジが分布し、また、イネガヤやリュウキュウキンモウワラビなど沖縄県ではこの一帯のみに自生しています。

 辺戸岳は、琉球開闢神話に現れる霊山です。「中山世鑑」によると「安須森」とあり、琉球開闢の祖とされる阿摩美久(あまみく)が最初に創成した御嶽(沖縄で最初に出来た御嶽)であるとされています。「おもろさうし」には、安須森に降臨した神を謡ったおもろがあります。また、「琉球国由来記」によると、辺戸には「シチヤラ嶽」、「アフリ嶽」、「宜野久瀬嶽」の3つの御嶽が記され、そこで首里から派遣された使者が正月と9月に琉球王家の繁栄、五穀豊穣、航海の安全を願いました。アフリ嶽に君真物神が現る際に、「涼傘(リャンサン)が立つ」といわれました。「涼傘」は首里王府内で「アフリ」と呼ばれ、古くから最高神とされてきた君真物神の「傘」として、この神が出現する前ぶれといわれました。また、国王が即位する際にも、この山に現れたと伝えられています。アフリ嶽から流出する辺戸大川は、「琉球国由来記」によれば、神名は「アフリ川」とあり、この川から汲まれた水は「御水取り」という行事に用いられました。第二尚氏王統の尚真王時代から廃藩置県まで、毎年5月と12月に行われ、また水を汲む際にシチヤラ嶽で供物を捧げました。王府は使者を辺戸へ送り、国王と王子や聞得大君の長寿を祈願し、汲まれた水は首里へ運ばれました。琉球王国時代においては、首里城の元旦行事に「若水」として使用され、廃藩置県後には中城御殿へ届けられました。なお、1998年、「御水取り」が55年ぶりに開催され、水が首里城へ送られました。

 辺戸岳にある正式な拝所は、中腹にある黄金洞(くがにがま)とイビガナシのみとなっています。
 辺戸岳は、安須森の拝所となっており、頂上に登ることは神様の頭上に登る失礼なことと考える人もいるので、むやみに頂上に登るのはお控えください。

 「安須森(あすむい)」は、「琉球国由来記」(1713年)に記されている「アフリ嶽」や「宜野久瀬(ぎのくせ)嶽」の総称で、琉球開闢七御嶽の一つ、アマミキヨが初めて降り立った沖縄最高の聖地とされています。安須森のある辺戸岳は、沖縄本島最北端の辺戸岬から南西約1.5㎞に位置し、上空から望む山体はほぼ楕円形で、南北に1.2㎞、東西に0.9㎞の範囲にわたっています。辺戸集落から眺めると、4つの峰が突出した山容をしており、それぞれ北から順に、「イヘヤ」、「チザラ(シチヤラ嶽)」、「アフリ」、「シヌクシ(宜野久瀬嶽)」と名付けられています。西側と比べて東側の標高が高く、最高点は248.3mとなっています。辺戸岳の麓から流れる辺戸大川は「ウッカー」といわれ、辺戸集落の水源として利用されていました。塔状カルスト地形が見られ、植生は琉球列島の石灰岩地帯で見かけるリュウキュウガキやナガミボチョウジが分布し、また、イネガヤやリュウキュウキンモウワラビなど沖縄県ではこの一帯のみに自生しています。

 辺戸岳は、琉球開闢神話に現れる霊山です。「中山世鑑」によると「安須森」とあり、琉球開闢の祖とされる阿摩美久(あまみく)が最初に創成した御嶽(沖縄で最初に出来た御嶽)であるとされています。「おもろさうし」には、安須森に降臨した神を謡ったおもろがあります。また、「琉球国由来記」によると、辺戸には「シチヤラ嶽」、「アフリ嶽」、「宜野久瀬嶽」の3つの御嶽が記され、そこで首里から派遣された使者が正月と9月に琉球王家の繁栄、五穀豊穣、航海の安全を願いました。アフリ嶽に君真物神が現る際に、「涼傘(リャンサン)が立つ」といわれました。「涼傘」は首里王府内で「アフリ」と呼ばれ、古くから最高神とされてきた君真物神の「傘」として、この神が出現する前ぶれといわれました。また、国王が即位する際にも、この山に現れたと伝えられています。アフリ嶽から流出する辺戸大川は、「琉球国由来記」によれば、神名は「アフリ川」とあり、この川から汲まれた水は「御水取り」という行事に用いられました。第二尚氏王統の尚真王時代から廃藩置県まで、毎年5月と12月に行われ、また水を汲む際にシチヤラ嶽で供物を捧げました。王府は使者を辺戸へ送り、国王と王子や聞得大君の長寿を祈願し、汲まれた水は首里へ運ばれました。琉球王国時代においては、首里城の元旦行事に「若水」として使用され、廃藩置県後には中城御殿へ届けられました。なお、1998年、「御水取り」が55年ぶりに開催され、水が首里城へ送られました。

 辺戸岳にある正式な拝所は、中腹にある黄金洞(くがにがま)とイビガナシのみとなっています。
 辺戸岳は、安須森の拝所となっており、頂上に登ることは神様の頭上に登る失礼なことと考える人もいるので、むやみに頂上に登るのはお控えください。

〒905-1421
沖縄県国頭村辺戸

トップへ戻る