浦添市港川にあった第二尚氏王統 第17代尚灝王(1787~1834年)の住居は「城間御殿(ぐすくまうどぅん)」と呼ばれていました。現在、御殿跡とされる場所には何も残っていませんが、御殿の礎石と伝えられる石が港川公民館の敷地内に展示されています。
尚灝王は即位後、飢饉や欧米船来航など数々の国内外の政治的な難局に直面し、その心労のためかで病となって(精神的な病といわれています)、現在の港川に隠居しました。城間御殿は隠居所として1827年に建てられました。尚灝は坊主頭であったことから俗に「坊主御主(ぼうずうしゅう)」と呼ばれて、地元の人々と交流したエピソードが残されています。
城間御殿跡の近くには、尚灝王の妻の墓と伝えられるユーベ墓が残されています。あわせての見学をお勧めします。
浦添市港川にあった第二尚氏王統 第17代尚灝王(1787~1834年)の住居は「城間御殿(ぐすくまうどぅん)」と呼ばれていました。現在、御殿跡とされる場所には何も残っていませんが、御殿の礎石と伝えられる石が港川公民館の敷地内に展示されています。
尚灝王は即位後、飢饉や欧米船来航など数々の国内外の政治的な難局に直面し、その心労のためかで病となって(精神的な病といわれています)、現在の港川に隠居しました。城間御殿は隠居所として1827年に建てられました。尚灝は坊主頭であったことから俗に「坊主御主(ぼうずうしゅう)」と呼ばれて、地元の人々と交流したエピソードが残されています。
城間御殿跡の近くには、尚灝王の妻の墓と伝えられるユーベ墓が残されています。あわせての見学をお勧めします。
〒901-2134
沖縄県浦添市港川