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金満御嶽(かにまんうたき)

 鍛冶に関わるとみられる金満按司の拝所と、付近には合祀された沢岻集落の拝所があります。

住所

〒901-2112
沖縄県浦添市沢岻

金満御嶽(かにまんうたき)

 鍛冶に関わるとみられる金満按司の拝所と、付近には合祀された沢岻集落の拝所があります。

 金満御嶽は、浦添市沢岻(たくし)の丘陵にあります。斜面にある階段をのぼっていくと、拝所のある広場に出ますが、岩山の上に「金満御嶽」と書かれた碑と香炉群があり、また「南山拝所」や「金満按司添」などの碑と香炉も置かれています。奥のほうには「七増田之拝所」と書かれた碑と7つの香炉がまつられています。なお御嶽へといたる階段の脇には「祝女神墓」の碑と祝女ガーと呼ばれる湧き水もあります。

 金満を祀った御嶽は沢岻以外にもいくつかあり、南城市の大里や八重瀬町の東風平などでも確認できます。金満とは鍛冶屋にかかわる人物を示すものと考えられており、鍛冶屋の始祖が察度王の弟だった金万という名前だったと伝えられています。近くには沢岻遺跡や沢岻各所の御嶽や根所を合祀した沢岻の拝所も立地しています。沢岻はもともと「上沢岻」と「下沢岻」に分かれていたと伝えられ、下はもと呉屋村と呼ばれていましたが、のちに上沢岻の人々が移動して呉屋村ととともに沢岻村を称したといいます。また下地区の西には金城村という村もあったといわれています。なお金満御嶽のかたわらには1972年に建立された「御嶽復元覚書」と刻まれた石碑が立っています。その碑文によると、かつて共有地となっていた沢岻世主の拝所と住居跡の売却話が持ち上がった際、根屋の子孫の方が反対運動を展開したものの阻止することができず売却されたため、やむなく現地へと移転したとのことです。なお移転した拝所は公芳嶽、天続嶽、玉骨、御先火の神、ツボウカー、ショウジガーであったとあります。

 斜面の階段の幅は非常に狭いため、訪れる際には十分注意してください。

 金満御嶽は、浦添市沢岻(たくし)の丘陵にあります。斜面にある階段をのぼっていくと、拝所のある広場に出ますが、岩山の上に「金満御嶽」と書かれた碑と香炉群があり、また「南山拝所」や「金満按司添」などの碑と香炉も置かれています。奥のほうには「七増田之拝所」と書かれた碑と7つの香炉がまつられています。なお御嶽へといたる階段の脇には「祝女神墓」の碑と祝女ガーと呼ばれる湧き水もあります。

 金満を祀った御嶽は沢岻以外にもいくつかあり、南城市の大里や八重瀬町の東風平などでも確認できます。金満とは鍛冶屋にかかわる人物を示すものと考えられており、鍛冶屋の始祖が察度王の弟だった金万という名前だったと伝えられています。近くには沢岻遺跡や沢岻各所の御嶽や根所を合祀した沢岻の拝所も立地しています。沢岻はもともと「上沢岻」と「下沢岻」に分かれていたと伝えられ、下はもと呉屋村と呼ばれていましたが、のちに上沢岻の人々が移動して呉屋村ととともに沢岻村を称したといいます。また下地区の西には金城村という村もあったといわれています。なお金満御嶽のかたわらには1972年に建立された「御嶽復元覚書」と刻まれた石碑が立っています。その碑文によると、かつて共有地となっていた沢岻世主の拝所と住居跡の売却話が持ち上がった際、根屋の子孫の方が反対運動を展開したものの阻止することができず売却されたため、やむなく現地へと移転したとのことです。なお移転した拝所は公芳嶽、天続嶽、玉骨、御先火の神、ツボウカー、ショウジガーであったとあります。

 斜面の階段の幅は非常に狭いため、訪れる際には十分注意してください。

〒901-2112
沖縄県浦添市沢岻

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