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浦添御殿(うどぅん)の墓

 王族クラスの亀甲墓としては、浦添市で最大級の規模を誇ります。

住所

〒901-2112
沖縄県浦添市沢岻

浦添御殿(うどぅん)の墓

 王族クラスの亀甲墓としては、浦添市で最大級の規模を誇ります。

 第二尚氏14代国王尚穆(しょうぼく)王 (在位1752~1794)の第二子尚図(しょうと)、またの名を浦添朝央(うらそえちょうおう)を祖とする浦添家の墓です。18世紀頃の造営と推定され、東西20m、南北27mの規模をほこり、大きなヒンプンや相方積みの石垣など、浦添市内でも最大級の亀甲墓となっています。周辺を囲む高い石垣や広い庭、墓を構成する大きな岩板など権勢の高さがうかがえ、王族の墓であることを物語ります。近世の亀甲墓や石積み技術を知ることのできる貴重な石造建築物です。

 第二尚氏14代国王尚穆王の次男、浦添王子朝央(ちょうおう)を元祖とする浦添家の墓です。浦添家は代々浦添間切を領地とし、近世琉球を代表する政治家や文化人を輩出した由緒ある家系でした。朝央は国王を補佐する摂政(せっせい)にも就任し、外交の使者として鹿児島へも赴いています。その際に枚聞神社(指宿市)に寄進した扁額も現地に残されています。かつて墓の近くには、墓を管理する御墓番の屋敷があり、1945(昭和20)年の航空写真でも確認できます。また2007(平成19)年には墓を所有する子孫の方から浦添市に寄贈され、2008(平成20)年には浦添市指定史跡にもなりました。なお御殿(うどぅん)とは、王子や按司(王族クラス)の家柄やその屋敷のことをさします。

 沢岻公園内にあり、公衆トイレも設置されています。

 第二尚氏14代国王尚穆(しょうぼく)王 (在位1752~1794)の第二子尚図(しょうと)、またの名を浦添朝央(うらそえちょうおう)を祖とする浦添家の墓です。18世紀頃の造営と推定され、東西20m、南北27mの規模をほこり、大きなヒンプンや相方積みの石垣など、浦添市内でも最大級の亀甲墓となっています。周辺を囲む高い石垣や広い庭、墓を構成する大きな岩板など権勢の高さがうかがえ、王族の墓であることを物語ります。近世の亀甲墓や石積み技術を知ることのできる貴重な石造建築物です。

 第二尚氏14代国王尚穆王の次男、浦添王子朝央(ちょうおう)を元祖とする浦添家の墓です。浦添家は代々浦添間切を領地とし、近世琉球を代表する政治家や文化人を輩出した由緒ある家系でした。朝央は国王を補佐する摂政(せっせい)にも就任し、外交の使者として鹿児島へも赴いています。その際に枚聞神社(指宿市)に寄進した扁額も現地に残されています。かつて墓の近くには、墓を管理する御墓番の屋敷があり、1945(昭和20)年の航空写真でも確認できます。また2007(平成19)年には墓を所有する子孫の方から浦添市に寄贈され、2008(平成20)年には浦添市指定史跡にもなりました。なお御殿(うどぅん)とは、王子や按司(王族クラス)の家柄やその屋敷のことをさします。

 沢岻公園内にあり、公衆トイレも設置されています。

〒901-2112
沖縄県浦添市沢岻

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