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浦添間切番所跡

 説明板には、昭和10年頃の浦添村役場の古写真をみることができます。

住所

〒901-2103
沖縄県浦添市仲間

浦添間切番所跡

 説明板には、昭和10年頃の浦添村役場の古写真をみることができます。

 琉球王国時代、浦添間切の行政をおこなった「番所」が置かれていました。「間切」とは現在の市町村に相当する琉球王国時代の行政区画のことで、「番所」は今日の役所にあたります。番所には地頭代(ジトゥディー)をはじめとする地方役人が置かれ、首里王府の命を受け、間切内の行政を担いました。

 琉球王国時代、浦添間切は1671年まで宜野湾間切をふくめた広い範囲で、当地はその中心でした。国王の普天間宮参詣の際に番所は休憩所として利用されました。1881年(明治14)に訪れた上杉茂憲県令の記録によると、番所は赤瓦の建物で門を南西に構え、老松が枝を広げ、フクギ、ソテツが植え連ねられているとあり、植栽がゆき届いた美しい施設であったことがわかります。番所は1897(明治30)年に間切役場、1908(明治41)年には村役場と改められ、そのまま間切時代から引き続き浦添の行政の中心施設でしたが、沖縄戦で破壊されました。なお、1882年(明治15)には浦添小学校が敷地内に開校し、浦添の学校発祥の地としても重要な場所でもあります。浦添小学校は現在でも同地に立地しています。

 現地には番所の痕跡はほとんどありませんが、浦添グスクと龍福寺、中頭方西海道などの位置関係を確認すると、浦添間切の行政の中心地の様子をうかがうことができます。

 琉球王国時代、浦添間切の行政をおこなった「番所」が置かれていました。「間切」とは現在の市町村に相当する琉球王国時代の行政区画のことで、「番所」は今日の役所にあたります。番所には地頭代(ジトゥディー)をはじめとする地方役人が置かれ、首里王府の命を受け、間切内の行政を担いました。

 琉球王国時代、浦添間切は1671年まで宜野湾間切をふくめた広い範囲で、当地はその中心でした。国王の普天間宮参詣の際に番所は休憩所として利用されました。1881年(明治14)に訪れた上杉茂憲県令の記録によると、番所は赤瓦の建物で門を南西に構え、老松が枝を広げ、フクギ、ソテツが植え連ねられているとあり、植栽がゆき届いた美しい施設であったことがわかります。番所は1897(明治30)年に間切役場、1908(明治41)年には村役場と改められ、そのまま間切時代から引き続き浦添の行政の中心施設でしたが、沖縄戦で破壊されました。なお、1882年(明治15)には浦添小学校が敷地内に開校し、浦添の学校発祥の地としても重要な場所でもあります。浦添小学校は現在でも同地に立地しています。

 現地には番所の痕跡はほとんどありませんが、浦添グスクと龍福寺、中頭方西海道などの位置関係を確認すると、浦添間切の行政の中心地の様子をうかがうことができます。

〒901-2103
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