SPOTスポット

祖納集落

 祖納集落内には、多くの史跡や貴重な文化財が点在しており、集落内の石垣や暴風林は歴史の趣を感じさせます。特に夜の祖納集落内での散歩は、歴史的な重厚感の中にも月明かりと虫の声、前泊海岸の波の音に包まれながら、日頃の喧噪を忘れゆっくりと流れるひとときを感じるのもお勧めです。

住所

〒907-1542
沖縄県竹富町西表

祖納集落

 祖納集落内には、多くの史跡や貴重な文化財が点在しており、集落内の石垣や暴風林は歴史の趣を感じさせます。特に夜の祖納集落内での散歩は、歴史的な重厚感の中にも月明かりと虫の声、前泊海岸の波の音に包まれながら、日頃の喧噪を忘れゆっくりと流れるひとときを感じるのもお勧めです。

 祖納集落は西表島 で歴史的に最も古い集落で、1477年に起きた済州島民漂流の見聞記(「朝鮮王朝実録」)に出てくる「所乃島」「所乃是麼」が祖納村と想定されています。祖納崎半島における台地上の集落を上村(ウイヌムラ)、半島付け根の低地集落を下村(シムヌムラ)と呼んでいます。大正期、上村から下村への移住が次第に始まりましたが、現在の上村には集落跡が残っています。

 1500年のオヤケアカハチ事件の後、首里王府に功績のあった慶来慶田城用緒(けらいだぐすくようちょ)が、1502年に西表首里大屋子(いりおもてしゅりうふやく)に任命されました。それ以来西表村は西表島西部全域を行政区としていました。1760年に慶田城村が立てられましたが、その背景には首里王府の体制が整ってきたことがあり、西表島には石垣島の役人が赴任してくるようになりました。慶田城村の行政区は祖納の阿立(アダティ)、大立(ウフダテイ)、御仮(ウカリ)、下原(スンバレ)、真山(マヤマ)、落水(ウティミチ)、成屋(ナリヤ)、舟浮(フナウキ)、網取(アントゥリ)、鹿川(カヌカ)で、西表村の行政区は祖納の一部と干立、多柄、浦内となりました。それ以来、祖納村は2つに分けられ、同じ敷地内に2つの番所(役所)が置かれるということが100年近く続きました。「琉球国由来記」(1713年)にみる御嶽の管轄からも、当時の祖納村は西表村と慶田城村に分けられていたことが分かります。そのころの慶田城村与人・宮良里賢は王府の許しも得ないまま、1768年に西表村番所を祖納から上原に移しました。このとき慶田城村は西表村と改め、上原に移った西表村は上原村に改めるように願い出たところ、これが王府に認められました。つまり、現在の上原の地に引越した西表村を元の祖納の地に戻し、慶田城村を廃して新しく上原村を創建するという異例の「村替え」が行われたのです。その結果、慶田城村はなくなり、本来の西表村に戻りました。民謡「まるま盆山節」には、「阿立 大立 おかりに 下原 真山 浮道 成屋 舟浮」と小村名が歌われていますが、これらのうち「成屋」「舟浮」の2つを除く他の村々は、いずれも現在の祖納村を形成する小村名です。

 集落を見学される際は、大声を出さないなど、マナーを守っていただくようお願いします。

 祖納集落は西表島 で歴史的に最も古い集落で、1477年に起きた済州島民漂流の見聞記(「朝鮮王朝実録」)に出てくる「所乃島」「所乃是麼」が祖納村と想定されています。祖納崎半島における台地上の集落を上村(ウイヌムラ)、半島付け根の低地集落を下村(シムヌムラ)と呼んでいます。大正期、上村から下村への移住が次第に始まりましたが、現在の上村には集落跡が残っています。

 1500年のオヤケアカハチ事件の後、首里王府に功績のあった慶来慶田城用緒(けらいだぐすくようちょ)が、1502年に西表首里大屋子(いりおもてしゅりうふやく)に任命されました。それ以来西表村は西表島西部全域を行政区としていました。1760年に慶田城村が立てられましたが、その背景には首里王府の体制が整ってきたことがあり、西表島には石垣島の役人が赴任してくるようになりました。慶田城村の行政区は祖納の阿立(アダティ)、大立(ウフダテイ)、御仮(ウカリ)、下原(スンバレ)、真山(マヤマ)、落水(ウティミチ)、成屋(ナリヤ)、舟浮(フナウキ)、網取(アントゥリ)、鹿川(カヌカ)で、西表村の行政区は祖納の一部と干立、多柄、浦内となりました。それ以来、祖納村は2つに分けられ、同じ敷地内に2つの番所(役所)が置かれるということが100年近く続きました。「琉球国由来記」(1713年)にみる御嶽の管轄からも、当時の祖納村は西表村と慶田城村に分けられていたことが分かります。そのころの慶田城村与人・宮良里賢は王府の許しも得ないまま、1768年に西表村番所を祖納から上原に移しました。このとき慶田城村は西表村と改め、上原に移った西表村は上原村に改めるように願い出たところ、これが王府に認められました。つまり、現在の上原の地に引越した西表村を元の祖納の地に戻し、慶田城村を廃して新しく上原村を創建するという異例の「村替え」が行われたのです。その結果、慶田城村はなくなり、本来の西表村に戻りました。民謡「まるま盆山節」には、「阿立 大立 おかりに 下原 真山 浮道 成屋 舟浮」と小村名が歌われていますが、これらのうち「成屋」「舟浮」の2つを除く他の村々は、いずれも現在の祖納村を形成する小村名です。

 集落を見学される際は、大声を出さないなど、マナーを守っていただくようお願いします。

〒907-1542
沖縄県竹富町西表