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健堅大親(きんきんうふや)の墓

 健堅村出身で村人から慕われていた健堅大親(キンキンウフヤ)が眠るとされるお墓です。

住所

〒905-0226
沖縄県本部町健堅

健堅大親(きんきんうふや)の墓

 健堅村出身で村人から慕われていた健堅大親(キンキンウフヤ)が眠るとされるお墓です。

 健堅大親(生没年不詳)の墓は瀬底大橋近くの国道449号沿いにあります。
健堅大親は健堅村の出身で健堅大屋子を勤め、村人に慕われていたそうです。本部町の人物で初めて文献に出てくるのが健堅大親で、「球陽」(1745年編纂)の察度王四十五年(1394年)の条に「健堅大親が久米島の堂之大親(どうぬうふや)と親交を結び、たまたま暴風で久米島に漂着した中華人を連れ帰り、船と良馬を与えたことから、中国皇帝は琉球国王を通して幣物と石碑を贈り褒賞した」ことが記されています。

 健堅大親は健堅之比屋(キンキンヌヒャー)とも呼ばれ、特に健堅では「健堅比屋加那志(キンキンヒャーガナシ)」と敬意を持って称されています。健堅には健堅大親に所縁があるとされる地名や民話が多く残されています。健堅で古島と呼ばれる古い集落跡には健堅大親の屋敷跡や拝井泉(ウガミガー)があり拝所になっていたそうですが、その旧跡も現在はゴルフ場に変わり、拝所も健堅本字付近に移転しています。

 国道沿いは車通りも多く大変危険なため、路上駐車は行わないでください。

 健堅大親(生没年不詳)の墓は瀬底大橋近くの国道449号沿いにあります。
健堅大親は健堅村の出身で健堅大屋子を勤め、村人に慕われていたそうです。本部町の人物で初めて文献に出てくるのが健堅大親で、「球陽」(1745年編纂)の察度王四十五年(1394年)の条に「健堅大親が久米島の堂之大親(どうぬうふや)と親交を結び、たまたま暴風で久米島に漂着した中華人を連れ帰り、船と良馬を与えたことから、中国皇帝は琉球国王を通して幣物と石碑を贈り褒賞した」ことが記されています。

 健堅大親は健堅之比屋(キンキンヌヒャー)とも呼ばれ、特に健堅では「健堅比屋加那志(キンキンヒャーガナシ)」と敬意を持って称されています。健堅には健堅大親に所縁があるとされる地名や民話が多く残されています。健堅で古島と呼ばれる古い集落跡には健堅大親の屋敷跡や拝井泉(ウガミガー)があり拝所になっていたそうですが、その旧跡も現在はゴルフ場に変わり、拝所も健堅本字付近に移転しています。

 国道沿いは車通りも多く大変危険なため、路上駐車は行わないでください。

〒905-0226
沖縄県本部町健堅

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