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百按司墓(ムムジャナバカ)

 今帰仁の按司クラスの人物たちが葬られた墓です。

住所

〒905-0403
沖縄県今帰仁村運天

百按司墓(ムムジャナバカ)

 今帰仁の按司クラスの人物たちが葬られた墓です。

 地元では百按司(ムムジャナ)墓と呼ばれています。墓は運天集落の北東部、崖の中腹、自然岸壁を利用してつくられています。一帯には北山監守の一族が葬られている大北(ウーニシ)墓をはじめ、60基以上の古墓が集中する地域です。墓は数基あり、その中の四基(向かって右から第一墓所、第二墓所、第三墓所、第四墓所)が、平成3年7月1日に今帰仁村の指定文化財に指定されました。墓の造りは岩陰を利用し、その中にかつては方言でザフン(ヘッカニガキ)材で組まれた家型の墓があり、壁はチニブ(竹製の網代)が用いられたと推測されます。第三墓所にほぼ原形が残っており、木材の風食具合から遅くとも17世紀には建造されたと考えられ、現存する県内最古の木造建築物の可能性があります。

 百按司墓の最古資料として『中山世譜(1697年)』があります。尚徳王の条には、「1.今帰仁間切の下運天村に百按司墓があり、その貴族たちの墓であること。2.墓の中には古い骨が多数散乱。また骨の入った龕(がん)も数個あった。3.これらは木で造られていて美しく飾られており、金色の巴紋のものが1つある。これは他のものと比べて新しく、弘治13年(西暦1500年)9月某日と記されている。4.尚真王の代に絶えてしまった。」と書かれています。

 百按司墓の木棺は住友財団の助成を受け修復・復元され、歴史文化センターに3基展示されています。木棺は家型の構造で、朱色の漆が塗られ、金具には黄銅が用いられ、文様から14世紀中葉から15世紀中葉に制作されたことがわかっています。県内で最古級の工芸技術を知ることができる貴重な資料となっています。
 平成3年7月1日に今帰仁村指定文化財に指定されました。

 地元では百按司(ムムジャナ)墓と呼ばれています。墓は運天集落の北東部、崖の中腹、自然岸壁を利用してつくられています。一帯には北山監守の一族が葬られている大北(ウーニシ)墓をはじめ、60基以上の古墓が集中する地域です。墓は数基あり、その中の四基(向かって右から第一墓所、第二墓所、第三墓所、第四墓所)が、平成3年7月1日に今帰仁村の指定文化財に指定されました。墓の造りは岩陰を利用し、その中にかつては方言でザフン(ヘッカニガキ)材で組まれた家型の墓があり、壁はチニブ(竹製の網代)が用いられたと推測されます。第三墓所にほぼ原形が残っており、木材の風食具合から遅くとも17世紀には建造されたと考えられ、現存する県内最古の木造建築物の可能性があります。

 百按司墓の最古資料として『中山世譜(1697年)』があります。尚徳王の条には、「1.今帰仁間切の下運天村に百按司墓があり、その貴族たちの墓であること。2.墓の中には古い骨が多数散乱。また骨の入った龕(がん)も数個あった。3.これらは木で造られていて美しく飾られており、金色の巴紋のものが1つある。これは他のものと比べて新しく、弘治13年(西暦1500年)9月某日と記されている。4.尚真王の代に絶えてしまった。」と書かれています。

 百按司墓の木棺は住友財団の助成を受け修復・復元され、歴史文化センターに3基展示されています。木棺は家型の構造で、朱色の漆が塗られ、金具には黄銅が用いられ、文様から14世紀中葉から15世紀中葉に制作されたことがわかっています。県内で最古級の工芸技術を知ることができる貴重な資料となっています。
 平成3年7月1日に今帰仁村指定文化財に指定されました。

〒905-0403
沖縄県今帰仁村運天

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