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大和人墓(やまとぅばか)

 運天港と大和と津(港)と船との関わりを知ることができます。

住所

〒905-0403
沖縄県今帰仁村運天

大和人墓(やまとぅばか)

 運天港と大和と津(港)と船との関わりを知ることができます。

 大北墓(うーにしばか)のすぐ東側に大和人墓の墓塔が二基安置され、「やまとぅばか」と呼ばれています。墓があった場所は現在の場所ではなく、舟置き場の建物があった場所にありました。

 ひとつには「明和五年戌子年八月」と戒名は「妙法□定信士」とあり明和5年は1768年で、裏に「屋久島宮之宮之浦 父立也新七敬白」記されています。屋久島の宮之浦の出身で、親子で運天港にやってきたのか、漂着なのか病死なのか分かっていませんが、父親の新七が息子のために墓を建立したもののように思われます。もう一基には「安政二年卯十月十日」と戒名は「即心帰郷信士」とあり、出身地は不明ですが墓の形式から大和人であると推定されます。安政2年は1855年にあたり、戒名から運天で亡くなり、故郷に帰りたいとの思いを込めての戒名であると想定されます。

 大北墓の石垣のすぐ外にあります。

 大北墓(うーにしばか)のすぐ東側に大和人墓の墓塔が二基安置され、「やまとぅばか」と呼ばれています。墓があった場所は現在の場所ではなく、舟置き場の建物があった場所にありました。

 ひとつには「明和五年戌子年八月」と戒名は「妙法□定信士」とあり明和5年は1768年で、裏に「屋久島宮之宮之浦 父立也新七敬白」記されています。屋久島の宮之浦の出身で、親子で運天港にやってきたのか、漂着なのか病死なのか分かっていませんが、父親の新七が息子のために墓を建立したもののように思われます。もう一基には「安政二年卯十月十日」と戒名は「即心帰郷信士」とあり、出身地は不明ですが墓の形式から大和人であると推定されます。安政2年は1855年にあたり、戒名から運天で亡くなり、故郷に帰りたいとの思いを込めての戒名であると想定されます。

 大北墓の石垣のすぐ外にあります。

〒905-0403
沖縄県今帰仁村運天

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