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大北墓(うーにしばか)

 第二尚氏王統時代の二世、四~七世の監守(今帰仁按司)やその一族が葬られている按司墓です。

住所

〒905-0403
沖縄県今帰仁村運天

大北墓(うーにしばか)

 第二尚氏王統時代の二世、四~七世の監守(今帰仁按司)やその一族が葬られている按司墓です。

 運天港の北東の崖下にあり、第二尚氏王統時代の二世、四~七世の監守(今帰仁按司)やその一族が葬られています。もともとは今帰仁城跡近くのウツリタマヒにあったものが、天井崩落で大北墓に移築されたと伝えられています。1761年(乾隆26)年に監守十世の尚宣謨が首里王府へ拝領を願い出て許可されました。明治45年に墓を修理した際に調査が行われ、『沖縄県国頭郡志』で報告されています。それによると、石棺陶棺が8基、甕4基が安置されています。

 墓庭にある墓碑は大正13年に再建されたものです。表には「元祖今帰仁王子は、尚真王の3番目の王子で、国頭方面の監守を仰せつかった。今帰仁間切に移り住み、七代まで国頭方面を治め続けたので、運天に墓を構えて安置している。」という内容で、裏には乾隆26年(1761年)に建てられた碑が、弘化時代に外国船が来航した際に破壊されたことが記されています。

 大北墓は、平成3年7月1日に今帰仁村指定文化財(建造物)に指定された。

 運天港の北東の崖下にあり、第二尚氏王統時代の二世、四~七世の監守(今帰仁按司)やその一族が葬られています。もともとは今帰仁城跡近くのウツリタマヒにあったものが、天井崩落で大北墓に移築されたと伝えられています。1761年(乾隆26)年に監守十世の尚宣謨が首里王府へ拝領を願い出て許可されました。明治45年に墓を修理した際に調査が行われ、『沖縄県国頭郡志』で報告されています。それによると、石棺陶棺が8基、甕4基が安置されています。

 墓庭にある墓碑は大正13年に再建されたものです。表には「元祖今帰仁王子は、尚真王の3番目の王子で、国頭方面の監守を仰せつかった。今帰仁間切に移り住み、七代まで国頭方面を治め続けたので、運天に墓を構えて安置している。」という内容で、裏には乾隆26年(1761年)に建てられた碑が、弘化時代に外国船が来航した際に破壊されたことが記されています。

 大北墓は、平成3年7月1日に今帰仁村指定文化財(建造物)に指定された。

〒905-0403
沖縄県今帰仁村運天