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運天の無名の古墓群

 沖縄を訪れたイギリス軍艦艦長のバジル・ホールも驚いた崖に掘られたお墓です。

住所

〒905-0403
沖縄県今帰仁村運天

運天の無名の古墓群

 沖縄を訪れたイギリス軍艦艦長のバジル・ホールも驚いた崖に掘られたお墓です。

 崖の下や中腹に無名の古い墓が群れをなしています。それらの墓にどのような人達がいつ葬られたのか、素姓は未だ定かでありません。右側の墓は前面に材木で枠をつくり、それにザフンと呼ばれる板でふさがれており、その中に木棺が入っています。木棺からこぼれた人骨は、墓室内に散在されたままです。現在、この墓は新しい板でふさがれています。左側の墓も崖の中腹に作られ崖に横穴を掘り、そこにザフンを使って家型の建物が作られています。さらに、その中に人骨が入った木棺や甕などが納められています。黒釉のかかった陶製の厨子甕自体は18世紀頃のものであるといわれていますが、おさめられている人骨はかなり古いものであると推定されます。また、墓室の中には竹籠を編んだような入れ物があり(現在押しつぶされている)、それに人骨が納められた形跡があります。家型の墓の正面の中央部に墓口があり開くようになっています。

 『朝鮮・琉球航海記』によると1816年、沖縄を訪れたイギリス軍艦艦長のバジル・ホールは「地面から急斜面を8~10フィート(2~3m)上った位置にかたい岩をうがって水平に回廊が切り開かれ、壁に向かっていくつもの小さな四角い穴が深く掘り込んであった。ここに死者の骨を入れた壺を収めるのである。・・・ここには墓地本来の目的である墓碑や碑銘などの役割を示すものが何もないのは意外である」と報告したと記されています。

 崖斜面には新生代第4期(約160万年前)の琉球層群が露頭し、標高の低い所はより砂岩質で掘り込むことが容易なことから、墓をつくるのに適した地質となっていました。

 崖の下や中腹に無名の古い墓が群れをなしています。それらの墓にどのような人達がいつ葬られたのか、素姓は未だ定かでありません。右側の墓は前面に材木で枠をつくり、それにザフンと呼ばれる板でふさがれており、その中に木棺が入っています。木棺からこぼれた人骨は、墓室内に散在されたままです。現在、この墓は新しい板でふさがれています。左側の墓も崖の中腹に作られ崖に横穴を掘り、そこにザフンを使って家型の建物が作られています。さらに、その中に人骨が入った木棺や甕などが納められています。黒釉のかかった陶製の厨子甕自体は18世紀頃のものであるといわれていますが、おさめられている人骨はかなり古いものであると推定されます。また、墓室の中には竹籠を編んだような入れ物があり(現在押しつぶされている)、それに人骨が納められた形跡があります。家型の墓の正面の中央部に墓口があり開くようになっています。

 『朝鮮・琉球航海記』によると1816年、沖縄を訪れたイギリス軍艦艦長のバジル・ホールは「地面から急斜面を8~10フィート(2~3m)上った位置にかたい岩をうがって水平に回廊が切り開かれ、壁に向かっていくつもの小さな四角い穴が深く掘り込んであった。ここに死者の骨を入れた壺を収めるのである。・・・ここには墓地本来の目的である墓碑や碑銘などの役割を示すものが何もないのは意外である」と報告したと記されています。

 崖斜面には新生代第4期(約160万年前)の琉球層群が露頭し、標高の低い所はより砂岩質で掘り込むことが容易なことから、墓をつくるのに適した地質となっていました。

〒905-0403
沖縄県今帰仁村運天