旧親泊ムラの神ハサギでフプハサギと呼ばれています。神ハサギがある集落は古琉球の時代からあったと考えられており、かつては茅葺き屋根で軒の低い建物でしたが、現在は瓦葺きとなっています。主に神人(かみんちゅ)が祭祀の時に使った施設です。『琉球国由来記(1713年)』では「親泊神アシャゲ」、『琉球国旧記(1731年)』では「神軒」と記されています。4本のコンクリート柱で屋根はセメント瓦葺きです。本来香炉はありませんが、現在は香炉が置かれ線香はクバの御嶽の方向ではなく、反対の海側に向けて立てられています。神ハサギ内には神を招いて座らせたというタモト木があり、現在ではコンクリートの柱に代用され横に置かれています。シマウイミやプトゥチ御願という今泊の年中祭祀の際に神ハサギで祭祀が執り行われています。祭祀は今帰仁ムラと同様に今帰仁ノロの管轄です。
フプハサギのフプは方言で大きいの意で、もう一つのハサギのハサギンクヮーのクヮーは小さいの意をしています。今帰仁グスク城下から先に集落移動してきたことによるものと考えられています。
『琉球国由来記(1713年)』には当時の村やノロ、神ハサギの存在を確認することができます。今帰仁村内には21の神アサギがあり、崎山集落から西側では神ハサギ、平敷から東側では神アサギと呼ばれています。明治36年以前に創設された集落には神アサギを設け、神人を配置し祭祀を行わなければなりませんでした。祭祀や神ハサギ、御嶽などムラの成り立ちと切り離すことができず、ムラが合併しても祭祀は一つにするわけではなく、その伝統は今に引き継がれています。そのため神ハサギを見ることはムラを歴史的に見て行くことにつながります。
ハサギ内に横倒しに置かれているコンクリートの柱は、神様が腰かけるタモト木ですので踏まないでください。
旧親泊ムラの神ハサギでフプハサギと呼ばれています。神ハサギがある集落は古琉球の時代からあったと考えられており、かつては茅葺き屋根で軒の低い建物でしたが、現在は瓦葺きとなっています。主に神人(かみんちゅ)が祭祀の時に使った施設です。『琉球国由来記(1713年)』では「親泊神アシャゲ」、『琉球国旧記(1731年)』では「神軒」と記されています。4本のコンクリート柱で屋根はセメント瓦葺きです。本来香炉はありませんが、現在は香炉が置かれ線香はクバの御嶽の方向ではなく、反対の海側に向けて立てられています。神ハサギ内には神を招いて座らせたというタモト木があり、現在ではコンクリートの柱に代用され横に置かれています。シマウイミやプトゥチ御願という今泊の年中祭祀の際に神ハサギで祭祀が執り行われています。祭祀は今帰仁ムラと同様に今帰仁ノロの管轄です。
フプハサギのフプは方言で大きいの意で、もう一つのハサギのハサギンクヮーのクヮーは小さいの意をしています。今帰仁グスク城下から先に集落移動してきたことによるものと考えられています。
『琉球国由来記(1713年)』には当時の村やノロ、神ハサギの存在を確認することができます。今帰仁村内には21の神アサギがあり、崎山集落から西側では神ハサギ、平敷から東側では神アサギと呼ばれています。明治36年以前に創設された集落には神アサギを設け、神人を配置し祭祀を行わなければなりませんでした。祭祀や神ハサギ、御嶽などムラの成り立ちと切り離すことができず、ムラが合併しても祭祀は一つにするわけではなく、その伝統は今に引き継がれています。そのため神ハサギを見ることはムラを歴史的に見て行くことにつながります。
ハサギ内に横倒しに置かれているコンクリートの柱は、神様が腰かけるタモト木ですので踏まないでください。
〒905-0428
沖縄県今帰仁村今泊