大庭(うーみやー)の東にある一段高くなった郭(くるわ)を主郭(俗称:本丸)と呼んでいます。主郭には多くの礎石が現存しています。かつての建築物の形がいくらか想像することができます。1982年から4年間、発掘調査が行われました。発掘調査の結果、13世紀終り頃から17世紀初め頃まで機能していたことが分かりました(発掘調査によって築城から廃城までの時期変遷を確認することができました)。北山監守引き上げ以降は火神の祠(ひのかんのほこら)が設置され、さらに来歴碑が建立され祭祀を行う場として利用されています。発掘調査が完了し現在のように整備されました。城内で最も中心的な建物があった場所です。
中国の史書『明実録』に登場する北山王は怕尼芝(はにじ)・珉(みん)・攀安知(はんあんち)の三王で、怕尼芝は6回、珉が1回、攀安知が11回、合計18回の交易を行っています。交易は中国(明)と公的に行われ、宝物として冠帯や衣服などの品々を賜っています。
説明板で発掘成果を確認することができます。
大庭(うーみやー)の東にある一段高くなった郭(くるわ)を主郭(俗称:本丸)と呼んでいます。主郭には多くの礎石が現存しています。かつての建築物の形がいくらか想像することができます。1982年から4年間、発掘調査が行われました。発掘調査の結果、13世紀終り頃から17世紀初め頃まで機能していたことが分かりました(発掘調査によって築城から廃城までの時期変遷を確認することができました)。北山監守引き上げ以降は火神の祠(ひのかんのほこら)が設置され、さらに来歴碑が建立され祭祀を行う場として利用されています。発掘調査が完了し現在のように整備されました。城内で最も中心的な建物があった場所です。
中国の史書『明実録』に登場する北山王は怕尼芝(はにじ)・珉(みん)・攀安知(はんあんち)の三王で、怕尼芝は6回、珉が1回、攀安知が11回、合計18回の交易を行っています。交易は中国(明)と公的に行われ、宝物として冠帯や衣服などの品々を賜っています。
説明板で発掘成果を確認することができます。
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