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奥浜牛の碑(バルチック艦隊発見記念碑)

 日本人としてバルチック艦隊の侵攻を最初に発見した粟国島出身の奥浜牛の記念碑です。

住所

〒901-3703
沖縄県粟国村西

奥浜牛の碑(バルチック艦隊発見記念碑)

 日本人としてバルチック艦隊の侵攻を最初に発見した粟国島出身の奥浜牛の記念碑です。

 粟国島出身の奥浜牛は、日露戦争の最中の1905年5月26日、バルチック艦隊の侵攻を最初に発見した日本人とされています。尽忠の赤誠を捧げた島人として、奥浜牛の功労を記念するため、粟国村は、発見から110年以上が経った2016年3月、記念碑を建立しました。

 奥浜牛は、1876年、粟国村宇西(屋号ダイジ大ヤー)で生まれました。兄弟が多く貧しかったので、年頃になると出稼ぎのため、久米島仲里村真我里に行き、同所で妻子ができました。1905年5月26日、那覇市に住み、山原船(宮城丸)に乗り込み雑貨を積んで宮古へ売りに行く仕事をしていた弱冠29歳の青年だった時、ロシアのバルチック艦隊の40隻余りを慶良間島と宮古島の中間位で発見し、宮古島の漲水港に入港して島庁に報告したとされています。

 奥浜牛は、世を去る時、宮古島で請書に捺印するために新調した印鑑を遺族に渡しました。そして、この印鑑は、自身が首を賭けて重大な役目を果たしたものだから、他日、役に立つことがあろうと遺言したと伝えられています。

 粟国島出身の奥浜牛は、日露戦争の最中の1905年5月26日、バルチック艦隊の侵攻を最初に発見した日本人とされています。尽忠の赤誠を捧げた島人として、奥浜牛の功労を記念するため、粟国村は、発見から110年以上が経った2016年3月、記念碑を建立しました。

 奥浜牛は、1876年、粟国村宇西(屋号ダイジ大ヤー)で生まれました。兄弟が多く貧しかったので、年頃になると出稼ぎのため、久米島仲里村真我里に行き、同所で妻子ができました。1905年5月26日、那覇市に住み、山原船(宮城丸)に乗り込み雑貨を積んで宮古へ売りに行く仕事をしていた弱冠29歳の青年だった時、ロシアのバルチック艦隊の40隻余りを慶良間島と宮古島の中間位で発見し、宮古島の漲水港に入港して島庁に報告したとされています。

 奥浜牛は、世を去る時、宮古島で請書に捺印するために新調した印鑑を遺族に渡しました。そして、この印鑑は、自身が首を賭けて重大な役目を果たしたものだから、他日、役に立つことがあろうと遺言したと伝えられています。

〒901-3703
沖縄県粟国村西