SPOTスポット

御殿庭(うどぅんみゃー)

 12年ごとの午年に行われてきた「イザイホー」が行われる神聖な場所です。

住所

〒901-1501
沖縄県南城市知念久高

御殿庭(うどぅんみゃー)

 12年ごとの午年に行われてきた「イザイホー」が行われる神聖な場所です。

 ウドゥンミャーは、久高島の集落の北のはずれにある広場のことで、12年ごとの午年に行われてきたイザイホーや村落の主要な年中祭祀の祭場です。広場に一角には、神アシャギ、焙乾屋(捕獲したエラブウナギを燻製にする施設)、百名白樽をまつった神屋などがあります。ウドゥンミャーのウドゥンは「御殿」、ミャーは「庭」で、ウドゥンミャーは「御殿の庭」の意ということになります。

 御殿は、通常は首里にある王子や按司等身分の高い人物の邸宅を指す言葉であって、久高島の「御殿」の実体が何であったかが問題となりますが、「球陽」の尚貞王9年(1677年)の条、481項に「始めて久高島の御殿を毀つ」という条文があることが参考になります。これによると、1677年に王府から取り壊されるまで、久高島に「御殿」があったということは、歴史的事実です。この御殿の性格について知るためには、それが取り壊された1677年という時期が参考になります。すなわち、御殿の取り壊される4年前の1673年に、国王の久高島行幸が廃止されていることを考えると、1677年まであった「久高島の御殿」は、国王や聞得大君一行が久高島に渡島した際に利用した施設であり、行幸廃止に伴ってその必要性がなくなったために取り壊されたものと推測できます。御殿庭の一角にある焙乾屋は、現在、エラブウナギを燻製にする施設ですが、それが別名殿内小(トゥヌチグヮー)と呼ばれて、国王の従者が宿泊した施設であったとか、昔は焙乾屋の前に「殿内小」という屋敷があり久高ノロはその家から出たといった伝承も、かつての「御殿」の存在と何らかの関係があるものと考えられます。「殿内小」の「殿内」とは、御殿よりは格下であるが、御殿と同様に身分の高い人の邸宅を指す言葉であり、周知のとおり、ノロを出す家のことを「ノロ殿内」と呼ぶのも一般的です。

 駐車場・トイレ無し。
 建物の後方の森は「イザイヤマ」と呼ばれる聖域のため、立入禁止です。

 ウドゥンミャーは、久高島の集落の北のはずれにある広場のことで、12年ごとの午年に行われてきたイザイホーや村落の主要な年中祭祀の祭場です。広場に一角には、神アシャギ、焙乾屋(捕獲したエラブウナギを燻製にする施設)、百名白樽をまつった神屋などがあります。ウドゥンミャーのウドゥンは「御殿」、ミャーは「庭」で、ウドゥンミャーは「御殿の庭」の意ということになります。

 御殿は、通常は首里にある王子や按司等身分の高い人物の邸宅を指す言葉であって、久高島の「御殿」の実体が何であったかが問題となりますが、「球陽」の尚貞王9年(1677年)の条、481項に「始めて久高島の御殿を毀つ」という条文があることが参考になります。これによると、1677年に王府から取り壊されるまで、久高島に「御殿」があったということは、歴史的事実です。この御殿の性格について知るためには、それが取り壊された1677年という時期が参考になります。すなわち、御殿の取り壊される4年前の1673年に、国王の久高島行幸が廃止されていることを考えると、1677年まであった「久高島の御殿」は、国王や聞得大君一行が久高島に渡島した際に利用した施設であり、行幸廃止に伴ってその必要性がなくなったために取り壊されたものと推測できます。御殿庭の一角にある焙乾屋は、現在、エラブウナギを燻製にする施設ですが、それが別名殿内小(トゥヌチグヮー)と呼ばれて、国王の従者が宿泊した施設であったとか、昔は焙乾屋の前に「殿内小」という屋敷があり久高ノロはその家から出たといった伝承も、かつての「御殿」の存在と何らかの関係があるものと考えられます。「殿内小」の「殿内」とは、御殿よりは格下であるが、御殿と同様に身分の高い人の邸宅を指す言葉であり、周知のとおり、ノロを出す家のことを「ノロ殿内」と呼ぶのも一般的です。

 駐車場・トイレ無し。
 建物の後方の森は「イザイヤマ」と呼ばれる聖域のため、立入禁止です。

〒901-1501
沖縄県南城市知念久高

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