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ヤハラヅカサ

 自然海岸に石碑を設置しており、遠くに久高島やコマカ島が遠望できる景勝地になっています。

住所

〒901-0603
沖縄県南城市玉城百名

ヤハラヅカサ

 自然海岸に石碑を設置しており、遠くに久高島やコマカ島が遠望できる景勝地になっています。

 浜川原海岸の浅い岩礁に立つ御嶽です。久高島が望める百名ビーチの北端の海の中にあり、琉球石灰岩で造られた石碑は満潮時には水没し、干潮時にその姿を見ることができます。琉球の創世神・アマミキヨが降り立った場所と伝わり、古くから崇拝されています。

 以前はコンクリート製の標柱が立っていましたが、2005年に現在の石碑に替えられています。
 ヤハラヅカサは、琉球の開闢(かいびゃく)神・アマミキヨがニライカナイの大東島(ウフアガリジマ)から渡来し上陸した時、最初に足を降ろした場所と伝えられています。そこから浜川御嶽で仮住まいをし、玉城の仲村渠集落のミントンと呼ばれる場所へ移り住んだといわれています。
 『由来記』には、「浜川」の神名として「ヤハラヅカサ潮バナツカサノ御イベ」と記されています。国王の隔年で4月の稲穂祭に知念玉城へ行幸し、ヤハラヅカサでもお水撫での儀礼が行われました。ヤハラヅカサでは、字百名の1月2日の初ウビー、3月3日の浜下り、また、字新原集落の1月2日(新)の初ウビーの集落祭祀で拝まれています。かつて、字百名の浜下りでは「サシキバンタ」の崖上の広場でドラを叩いて出漁中の字民に祭祀が始まることを知らせ、漁師も揃ってからヤハラヅカサで祈願を行ったといわれています。
 古くから、ヤハラヅカサは士族門中の「東御廻り(アガリウマーイ)」における重要な巡礼地とされてきました。例えば、那覇若狭の貝氏宗家の「福地家文書」の1871年「東御廻り(アガリウマーイ)」に関する資料によると、王府の知念玉城行幸の順路と逆に、那覇から玉城、知念、大里(現在の与那原)、首里へ巡拝したことがわかります。玉城間切では仲村渠樋川、受水走水(ウキンジュハインジュ)、ヤハラヅカサ、浜川御嶽の順に参拝しています。現在もヤハラヅカサは、沖縄各地の門中行事「東御廻り」の巡礼地の一つとして参詣者が多く訪れます。

 市指定文化財:有形民俗(1994(平成6)年2月23日指定)
 駐車場有(無料)・トイレ無し。駐車場は浜川御嶽をご利用ください。
 海中にあり、干潮時に近くまで行くことができますが、滑りやすいのでご注意ください。

 浜川原海岸の浅い岩礁に立つ御嶽です。久高島が望める百名ビーチの北端の海の中にあり、琉球石灰岩で造られた石碑は満潮時には水没し、干潮時にその姿を見ることができます。琉球の創世神・アマミキヨが降り立った場所と伝わり、古くから崇拝されています。

 以前はコンクリート製の標柱が立っていましたが、2005年に現在の石碑に替えられています。
 ヤハラヅカサは、琉球の開闢(かいびゃく)神・アマミキヨがニライカナイの大東島(ウフアガリジマ)から渡来し上陸した時、最初に足を降ろした場所と伝えられています。そこから浜川御嶽で仮住まいをし、玉城の仲村渠集落のミントンと呼ばれる場所へ移り住んだといわれています。
 『由来記』には、「浜川」の神名として「ヤハラヅカサ潮バナツカサノ御イベ」と記されています。国王の隔年で4月の稲穂祭に知念玉城へ行幸し、ヤハラヅカサでもお水撫での儀礼が行われました。ヤハラヅカサでは、字百名の1月2日の初ウビー、3月3日の浜下り、また、字新原集落の1月2日(新)の初ウビーの集落祭祀で拝まれています。かつて、字百名の浜下りでは「サシキバンタ」の崖上の広場でドラを叩いて出漁中の字民に祭祀が始まることを知らせ、漁師も揃ってからヤハラヅカサで祈願を行ったといわれています。
 古くから、ヤハラヅカサは士族門中の「東御廻り(アガリウマーイ)」における重要な巡礼地とされてきました。例えば、那覇若狭の貝氏宗家の「福地家文書」の1871年「東御廻り(アガリウマーイ)」に関する資料によると、王府の知念玉城行幸の順路と逆に、那覇から玉城、知念、大里(現在の与那原)、首里へ巡拝したことがわかります。玉城間切では仲村渠樋川、受水走水(ウキンジュハインジュ)、ヤハラヅカサ、浜川御嶽の順に参拝しています。現在もヤハラヅカサは、沖縄各地の門中行事「東御廻り」の巡礼地の一つとして参詣者が多く訪れます。

 市指定文化財:有形民俗(1994(平成6)年2月23日指定)
 駐車場有(無料)・トイレ無し。駐車場は浜川御嶽をご利用ください。
 海中にあり、干潮時に近くまで行くことができますが、滑りやすいのでご注意ください。

〒901-0603
沖縄県南城市玉城百名