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高宮城(たかみやぎ)遺跡

 数々の遺物が出土しており、かつては「土のグスク」があったと考えられる遺跡です。

住所

〒901-1206
沖縄県南城市大里仲間

高宮城(たかみやぎ)遺跡

 数々の遺物が出土しており、かつては「土のグスク」があったと考えられる遺跡です。

 南城市大里農村環境改善センター北西側に位置する小高くなった丘(標高87.5m)に築かれたグスクで、東西約130m、南北約350mの広さを有しています。南北に細長いグスクで、丘全体は島尻層からなり、大里村の文化財「第三版」にも記述されているように「土のグスク」です。
 グスク全域が鬱蒼とした森に覆われているため、遺構の全体像を掴むことはできませんが、頂部を中心とする平場を最大に、北側斜面と西側斜面に数段、南側斜面に数段の削平段が置かれていることがわかります。また、南側から西側の斜面にかけては、グスク土器や青磁片が採取されました。

 高宮城遺跡について、旧大里村の資料によると、地元で「グスク」と呼称されていることや、黄金子(くがにしー)という人物が「みやぐすく」を拠点としていたということから、この場所がグスクであったと考えられています。高宮城遺跡は高宮城の方言で「タカナーグスク」や「タカミヤグスク」と呼び、拝所は殿と呼ばれています。
 『琉球国由来記』には「高宮城之殿」と記されています。また、古謡を集めた『おもろさうし』によると、黄金子を詠んだとされるおもろに「立派な宮城(みやぐすく)の金子(こがねし)が美しい冑や鎧を身に付けている」や「名高いお方が大タウ(大里地区内の地名:現在の湧稲国周辺と考えられる)の神女を崇めて稲福(いなふく、地名)の崖にいる」といった内容があり、黄金子の実力がこの一帯に広がっていたことがうかがえます。
 高宮城遺跡から真東約70mの場所には農村公園があり、その頂上にある広場の奥の角には拝所があります。この拝所は「クガニシー」や「カニマン」と呼ばれ、『琉球国由来記』には「コガネ森 神名:コガネシオブルクウノ御イベ」と記されています。黄金子は首里から下りてきた人物とされており、拝所は黄金子の居住地跡であったといわれています。

 駐車場・トイレ無し。
 道幅が狭いため徐行運転でお願いします。

 南城市大里農村環境改善センター北西側に位置する小高くなった丘(標高87.5m)に築かれたグスクで、東西約130m、南北約350mの広さを有しています。南北に細長いグスクで、丘全体は島尻層からなり、大里村の文化財「第三版」にも記述されているように「土のグスク」です。
 グスク全域が鬱蒼とした森に覆われているため、遺構の全体像を掴むことはできませんが、頂部を中心とする平場を最大に、北側斜面と西側斜面に数段、南側斜面に数段の削平段が置かれていることがわかります。また、南側から西側の斜面にかけては、グスク土器や青磁片が採取されました。

 高宮城遺跡について、旧大里村の資料によると、地元で「グスク」と呼称されていることや、黄金子(くがにしー)という人物が「みやぐすく」を拠点としていたということから、この場所がグスクであったと考えられています。高宮城遺跡は高宮城の方言で「タカナーグスク」や「タカミヤグスク」と呼び、拝所は殿と呼ばれています。
 『琉球国由来記』には「高宮城之殿」と記されています。また、古謡を集めた『おもろさうし』によると、黄金子を詠んだとされるおもろに「立派な宮城(みやぐすく)の金子(こがねし)が美しい冑や鎧を身に付けている」や「名高いお方が大タウ(大里地区内の地名:現在の湧稲国周辺と考えられる)の神女を崇めて稲福(いなふく、地名)の崖にいる」といった内容があり、黄金子の実力がこの一帯に広がっていたことがうかがえます。
 高宮城遺跡から真東約70mの場所には農村公園があり、その頂上にある広場の奥の角には拝所があります。この拝所は「クガニシー」や「カニマン」と呼ばれ、『琉球国由来記』には「コガネ森 神名:コガネシオブルクウノ御イベ」と記されています。黄金子は首里から下りてきた人物とされており、拝所は黄金子の居住地跡であったといわれています。

 駐車場・トイレ無し。
 道幅が狭いため徐行運転でお願いします。

〒901-1206
沖縄県南城市大里仲間

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