苗代大比屋(なーしるうふや)の屋敷跡
第一尚氏初代王であり、琉球統一を成した尚巴志の父である思紹(ししょう)の屋敷跡といわれる場所です。
住所
〒901-1403
沖縄県南城市佐敷佐敷
苗代大比屋(なーしるうふや)の屋敷跡
第一尚氏初代王であり、琉球統一を成した尚巴志の父である思紹(ししょう)の屋敷跡といわれる場所です。
苗代大比屋の屋敷跡は南城市佐敷の集落後方の丘にあり、小公園を左折すると、舗装道の左手に舗装のない坂小道を登ると左手に「苗代大比屋の屋敷跡」の路標が立っています。コンクリート建ての神殿内に位牌があり、「尚思紹王霊位、妻思真満金」と記され、もう一つの位牌には「尚巴志王ウナザラヌメー妻」と記されています。向かって左には火ヌ神をまつっています。
苗代大比屋は、後に樹立される第一尚氏初代王・思紹です。父である鮫川大主(さめかわうふしゅ)が当時、一帯の勢力を持っていた大城按司(うふぐすくあじ)に認められて按司の娘を貰い、2人の間に産まれた子が思紹でした。思紹は鮫川大主の跡を継いで佐敷按司となり、佐敷村美里子の娘を妻にしてこの地に住んでいたと伝わっています。その後、2人の間に尚巴志が誕生し、思紹から佐敷按司の地位を譲られた尚巴志は、南山最強の島添大里按司を倒し琉球全土に名を馳せ、1406年には浦添グスクの中山王・武寧(ぶねい)を討ち、父の思紹を中山王に就けたとされています。
駐車場・トイレ無し。
国指定文化財と市指定文化財範囲内にあります。
市指定文化財:史跡(2002(平成14)年3月4日指定)指定名称:苗代大比屋の屋敷跡
国指定文化財:史跡(2013(平成25)年10月17日指定)指定名称:佐敷城跡
苗代大比屋の屋敷跡は南城市佐敷の集落後方の丘にあり、小公園を左折すると、舗装道の左手に舗装のない坂小道を登ると左手に「苗代大比屋の屋敷跡」の路標が立っています。コンクリート建ての神殿内に位牌があり、「尚思紹王霊位、妻思真満金」と記され、もう一つの位牌には「尚巴志王ウナザラヌメー妻」と記されています。向かって左には火ヌ神をまつっています。
苗代大比屋は、後に樹立される第一尚氏初代王・思紹です。父である鮫川大主(さめかわうふしゅ)が当時、一帯の勢力を持っていた大城按司(うふぐすくあじ)に認められて按司の娘を貰い、2人の間に産まれた子が思紹でした。思紹は鮫川大主の跡を継いで佐敷按司となり、佐敷村美里子の娘を妻にしてこの地に住んでいたと伝わっています。その後、2人の間に尚巴志が誕生し、思紹から佐敷按司の地位を譲られた尚巴志は、南山最強の島添大里按司を倒し琉球全土に名を馳せ、1406年には浦添グスクの中山王・武寧(ぶねい)を討ち、父の思紹を中山王に就けたとされています。
駐車場・トイレ無し。
国指定文化財と市指定文化財範囲内にあります。
市指定文化財:史跡(2002(平成14)年3月4日指定)指定名称:苗代大比屋の屋敷跡
国指定文化財:史跡(2013(平成25)年10月17日指定)指定名称:佐敷城跡
〒901-1403
沖縄県南城市佐敷佐敷