SPOTスポット

糸数城跡

 天然の要害に築かれた県内有数の大型のグスクであり、直線状の城壁やアザナ(物見台)など、県内で例をみない築城技術で造られています。本島南部でも高い場所にあるため、勝連半島や首里城、慶良間諸島も眺めることができます。

住所

〒901-0606
沖縄県南城市玉城糸数

糸数城跡

 天然の要害に築かれた県内有数の大型のグスクであり、直線状の城壁やアザナ(物見台)など、県内で例をみない築城技術で造られています。本島南部でも高い場所にあるため、勝連半島や首里城、慶良間諸島も眺めることができます。

 14世紀前半頃、玉城按司(たまぐすくあじ)の三男が玉城グスクの西の守りとして築いたとされます。城の構えや規模は本島南部で最大を誇り、城壁は野面積みと切石積みを併用した造りになっています。
 糸数グスクは、後に上間按司によって攻められ落城したと伝わっており、沖縄戦では一部破壊されましたが、沖縄南部最大の城壁と呼ばれるほど城壁は良く残っています。
 また、グスクからはグスク土器や中国製の陶磁器類が発見されています。

 伝承によれば、玉城グスクの玉城按司の三男・糸数按司が三山分立時代に築いたとされます。
 糸数グスクの城壁は出っ張った構造をしており、戦いの際に城壁の近くに群がった攻め手(攻城軍)に対して、正面からも両横からも弓矢で攻撃することができるため、城壁に近付きにくい仕組みとなっています。また、出っ張りのところからは城壁の真下も見ることができ、城壁の下に潜んでいた敵兵がよじ登ろうとすると、左右両横の出っ張った城壁の上から弓矢で攻撃できる体制でした。
 糸数グスクは城建築用の資材調達のため、糸数城主の立役者・比嘉ウチヨウが国頭へ出掛けることになり、それを知った上間按司が大軍を引き連れて押し寄せました。突然の出来事に、糸数按司は城内を守るだけで攻撃に出ることができず、火攻めに合い敗北したといわれています。
 グスクの敷地内には殿があり、糸数城之嶽の南側の広場が殿といわれています。『由来記』の「糸数城之殿」に相当され、糸数城之殿では糸数ノロにより稲穂祭や稲大祭が司祭されました。

 国指定文化財:史跡(1972(昭和47)年5月15日指定)
 駐車場有り・トイレ無し。
 危険ですので城壁には登らないでください。ハブに注意してください。
 足場が悪い箇所があるので、歩きやすい服装が望ましいです。

 14世紀前半頃、玉城按司(たまぐすくあじ)の三男が玉城グスクの西の守りとして築いたとされます。城の構えや規模は本島南部で最大を誇り、城壁は野面積みと切石積みを併用した造りになっています。
 糸数グスクは、後に上間按司によって攻められ落城したと伝わっており、沖縄戦では一部破壊されましたが、沖縄南部最大の城壁と呼ばれるほど城壁は良く残っています。
 また、グスクからはグスク土器や中国製の陶磁器類が発見されています。

 伝承によれば、玉城グスクの玉城按司の三男・糸数按司が三山分立時代に築いたとされます。
 糸数グスクの城壁は出っ張った構造をしており、戦いの際に城壁の近くに群がった攻め手(攻城軍)に対して、正面からも両横からも弓矢で攻撃することができるため、城壁に近付きにくい仕組みとなっています。また、出っ張りのところからは城壁の真下も見ることができ、城壁の下に潜んでいた敵兵がよじ登ろうとすると、左右両横の出っ張った城壁の上から弓矢で攻撃できる体制でした。
 糸数グスクは城建築用の資材調達のため、糸数城主の立役者・比嘉ウチヨウが国頭へ出掛けることになり、それを知った上間按司が大軍を引き連れて押し寄せました。突然の出来事に、糸数按司は城内を守るだけで攻撃に出ることができず、火攻めに合い敗北したといわれています。
 グスクの敷地内には殿があり、糸数城之嶽の南側の広場が殿といわれています。『由来記』の「糸数城之殿」に相当され、糸数城之殿では糸数ノロにより稲穂祭や稲大祭が司祭されました。

 国指定文化財:史跡(1972(昭和47)年5月15日指定)
 駐車場有り・トイレ無し。
 危険ですので城壁には登らないでください。ハブに注意してください。
 足場が悪い箇所があるので、歩きやすい服装が望ましいです。

〒901-0606
沖縄県南城市玉城糸数