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玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)の墓(邊土名家の墓)

 ばち状に美しく曲線を描く庭の石積みなどは他に類がなく、沖縄の墓のなかでも独特な形式をしています。

住所

〒901-2102
沖縄県浦添市前田

玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)の墓(邊土名家の墓)

 ばち状に美しく曲線を描く庭の石積みなどは他に類がなく、沖縄の墓のなかでも独特な形式をしています。

 沖縄県浦添市前田の前田トンネル上に位置します。組踊の祖・玉城親方朝薫(1684~1734年)を含む一族の墓です。組踊は中国の冊封使を歓待するためにつくられた琉球独特の歌舞劇です。墓の造墓年代は明らかではありませんが、亀甲墓が成立していく17世紀後半から18世紀前半に造られたと考えられています。厨子(蔵骨器)は23基安置され、朝薫のものも確認されています。

 幼少時から音楽の才能に秀でた玉城朝薫は、1718(享保3)年に王府の御冠船踊の踊奉行に任命され、翌1719(享保4)年の冊封使歓待の宴で初めて組踊を上演しました(組踊は1972(昭和47)年に国の重要無形文化財に指定)。墓は、朝薫を含む向氏邊土名家一族が葬られています。当初、朝薫本人は首里石嶺(那覇市)の「一ツ墓」と呼ばれる個人墓に葬られていましたが、1899(明治32)年に前田の墓の厨子整理の際に移葬されたと推測されています。朝薫は死後71年後に洗骨が行われており(通常は死後3~7年)、一人用の墓に葬られた理由も含め大きな謎となっています。墓は沖縄戦で上半分が吹き飛ぶなど大きな被害を受け、1988(昭和63)年に本格的な発掘調査が行われています。1995(平成7)年に浦添市の史跡に指定され、2005(平成17)年の修復工事によって往時の姿を取り戻しました。墓の正面は亀甲墓に似ていますが、かまぼこ形の屋根と曲線を描く庭の石積みは独特なものとなっています。

 墓の内部は天井を支える石柱(4本)がある珍しい構造となっています。復元の際に石柱を新調して取り替えており、墓の外に一部を展示しています。1995(平成7 )年に市の文化財(史跡)に指定されています。

 沖縄県浦添市前田の前田トンネル上に位置します。組踊の祖・玉城親方朝薫(1684~1734年)を含む一族の墓です。組踊は中国の冊封使を歓待するためにつくられた琉球独特の歌舞劇です。墓の造墓年代は明らかではありませんが、亀甲墓が成立していく17世紀後半から18世紀前半に造られたと考えられています。厨子(蔵骨器)は23基安置され、朝薫のものも確認されています。

 幼少時から音楽の才能に秀でた玉城朝薫は、1718(享保3)年に王府の御冠船踊の踊奉行に任命され、翌1719(享保4)年の冊封使歓待の宴で初めて組踊を上演しました(組踊は1972(昭和47)年に国の重要無形文化財に指定)。墓は、朝薫を含む向氏邊土名家一族が葬られています。当初、朝薫本人は首里石嶺(那覇市)の「一ツ墓」と呼ばれる個人墓に葬られていましたが、1899(明治32)年に前田の墓の厨子整理の際に移葬されたと推測されています。朝薫は死後71年後に洗骨が行われており(通常は死後3~7年)、一人用の墓に葬られた理由も含め大きな謎となっています。墓は沖縄戦で上半分が吹き飛ぶなど大きな被害を受け、1988(昭和63)年に本格的な発掘調査が行われています。1995(平成7)年に浦添市の史跡に指定され、2005(平成17)年の修復工事によって往時の姿を取り戻しました。墓の正面は亀甲墓に似ていますが、かまぼこ形の屋根と曲線を描く庭の石積みは独特なものとなっています。

 墓の内部は天井を支える石柱(4本)がある珍しい構造となっています。復元の際に石柱を新調して取り替えており、墓の外に一部を展示しています。1995(平成7 )年に市の文化財(史跡)に指定されています。

〒901-2102
沖縄県浦添市前田