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浦添ようどれ

 極楽寺跡と推定される芝生広場辺りから見上げる庭囲いの城壁や、一番庭に至る暗しん御門、浮き道、中御門、墓室外観など。

住所

〒901-2103
沖縄県浦添市仲間

浦添ようどれ

 極楽寺跡と推定される芝生広場辺りから見上げる庭囲いの城壁や、一番庭に至る暗しん御門、浮き道、中御門、墓室外観など。

 浦添城跡内にある王の墓で、別名を極楽陵といいます。13世紀に造られた英祖王(在位1260~1299)の墓といわれており、1620年に尚寧王(在位1589~1620)により改修されました。石灰岩の崖に二つの横穴を掘り込み、石積みで塞いで墓室にした墓で、さらに周囲を石積みで囲っています。墓室にいたる途中には自然の岩盤を利用した「暗しん御門」があり、戦前は洞窟のような通路でしたが、戦争で被害を受け、現在、天井部分はありません。

 墓室は、西室(西側・向かって右側)が英祖王陵といわれ、東室(東側・向かって左側)に尚寧王と彼の一族が葬られています。二つの墓室には、骨を収めるための厨子(蔵骨器)を合計10基安置しています。「ようどれ」とは、琉球の言葉で「夕凪」を意味しており、その静かで穏やかなイメージから「墓」の意味に用いられているといわれています。東西墓室の間には「極楽山の碑文」が立っていますが、1620年、尚寧王の改修時に設けられたもので、改修の経緯や管理について記されています。

 西室の3基と東室の1基の厨子が県の文化財(彫刻)に指定されています。この4基の石厨子は中国福建省産出の輝緑岩で作られていると推定されています。浦添グスク・ようどれ館では西室内部を原寸大で復元しています。

 浦添城跡内にある王の墓で、別名を極楽陵といいます。13世紀に造られた英祖王(在位1260~1299)の墓といわれており、1620年に尚寧王(在位1589~1620)により改修されました。石灰岩の崖に二つの横穴を掘り込み、石積みで塞いで墓室にした墓で、さらに周囲を石積みで囲っています。墓室にいたる途中には自然の岩盤を利用した「暗しん御門」があり、戦前は洞窟のような通路でしたが、戦争で被害を受け、現在、天井部分はありません。

 墓室は、西室(西側・向かって右側)が英祖王陵といわれ、東室(東側・向かって左側)に尚寧王と彼の一族が葬られています。二つの墓室には、骨を収めるための厨子(蔵骨器)を合計10基安置しています。「ようどれ」とは、琉球の言葉で「夕凪」を意味しており、その静かで穏やかなイメージから「墓」の意味に用いられているといわれています。東西墓室の間には「極楽山の碑文」が立っていますが、1620年、尚寧王の改修時に設けられたもので、改修の経緯や管理について記されています。

 西室の3基と東室の1基の厨子が県の文化財(彫刻)に指定されています。この4基の石厨子は中国福建省産出の輝緑岩で作られていると推定されています。浦添グスク・ようどれ館では西室内部を原寸大で復元しています。

〒901-2103
沖縄県浦添市仲間

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