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浦添城跡

 城壁の整備を進めており、復元城跡(西側)や発掘調査で新たに確認された城壁(南側)、1597(慶長2)年建立の「浦添城の前の碑」のほか、井泉や御嶽、「沖縄学の父」と称される伊波普猷の墓、沖縄戦時の壕などがあります。高台からの眺望(宜野湾~読谷、久高島など)も一見です。

住所

〒901-2103
沖縄県浦添市仲間

浦添城跡

 城壁の整備を進めており、復元城跡(西側)や発掘調査で新たに確認された城壁(南側)、1597(慶長2)年建立の「浦添城の前の碑」のほか、井泉や御嶽、「沖縄学の父」と称される伊波普猷の墓、沖縄戦時の壕などがあります。高台からの眺望(宜野湾~読谷、久高島など)も一見です。

 沖縄県浦添市字仲間・前田・当山に所在します。琉球石灰岩を基盤とする浦添断層崖上の丘陵部に立地しており、かつて舜天・英祖・察度王統の王城として栄えていたといわれています。城内には浦添城跡の歴史をうかがえる遺構が残っており、1989(平成元)年に国の史跡に指定されています。史跡指定区域の面積は12.4ha、グスクの規模は東西約380m、南北約60ないし80mほどの大きさです。

 13世紀末に造られたグスクで、中山(沖縄本島中部)を勢力下におく支配者の拠点と考えられており、14世紀後半から15世紀前半ころには大規模なグスクになりました。政権拠点が首里城に移った後の16世紀には第二尚氏第三代の尚真王の長男である尚維衡が住み、それ以降は彼の子孫が屋敷を構えていたようです。しかし、1609(慶長14)年の薩摩侵入の時に焼け落ちてしまいます。1945(昭和20)年の沖縄戦ではグスクがある丘陵は前田高地(米軍にはハクソー・リッジ)と呼ばれ日本軍の陣地となったことから激戦地となり、残っていた石積み城壁などが失われてしまいました。

 王陵・浦添ようどれとグスクを巡るルート(50~60分)をお勧めします。①浦添グスク・ようどれ館→②浦添ようどれ→③伊波普猷の墓→④ディーグガマ→⑤浦添城の前の碑→⑥南エントランス管理事務所(高麗系瓦などを展示)。付近の首里城へと続く「尚寧王の道(中頭方西海道)」も必見です。

 沖縄県浦添市字仲間・前田・当山に所在します。琉球石灰岩を基盤とする浦添断層崖上の丘陵部に立地しており、かつて舜天・英祖・察度王統の王城として栄えていたといわれています。城内には浦添城跡の歴史をうかがえる遺構が残っており、1989(平成元)年に国の史跡に指定されています。史跡指定区域の面積は12.4ha、グスクの規模は東西約380m、南北約60ないし80mほどの大きさです。

 13世紀末に造られたグスクで、中山(沖縄本島中部)を勢力下におく支配者の拠点と考えられており、14世紀後半から15世紀前半ころには大規模なグスクになりました。政権拠点が首里城に移った後の16世紀には第二尚氏第三代の尚真王の長男である尚維衡が住み、それ以降は彼の子孫が屋敷を構えていたようです。しかし、1609(慶長14)年の薩摩侵入の時に焼け落ちてしまいます。1945(昭和20)年の沖縄戦ではグスクがある丘陵は前田高地(米軍にはハクソー・リッジ)と呼ばれ日本軍の陣地となったことから激戦地となり、残っていた石積み城壁などが失われてしまいました。

 王陵・浦添ようどれとグスクを巡るルート(50~60分)をお勧めします。①浦添グスク・ようどれ館→②浦添ようどれ→③伊波普猷の墓→④ディーグガマ→⑤浦添城の前の碑→⑥南エントランス管理事務所(高麗系瓦などを展示)。付近の首里城へと続く「尚寧王の道(中頭方西海道)」も必見です。

〒901-2103
沖縄県浦添市仲間

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