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伊寿留按司(いじゅるあじ)の墓

 中城の英雄「護佐丸」の兄のお墓です。

住所

〒901-2314
沖縄県北中城村大城

伊寿留按司(いじゅるあじ)の墓

 中城の英雄「護佐丸」の兄のお墓です。

 墓は、中城城跡の入口の高台東端にあり、琉球石灰岩の岩盤の下を掘り込んで造られたフィンチャー墓(掘り込み墓)となっています。墓の前面は琉球石灰岩を相方積みに積んであります。
 伊寿留按司は、山田城の按司の長男で護佐丸の兄にあたりますが、城主になるのを望まず、中城間切に移り住み、農業に励んで近隣に聞こえた豪農になり、「伊舎堂安里(屋号)」の始祖となりました。伊寿留の屋敷は、大城の東原にあったといわれ、その西側にあるフスグ森は、伊寿留家がもみがらを風で吹き飛ばして脱穀した場所であり、地名もそのことに由来するといわれています。
 「球陽」(1745年)に、伊舎堂安里の子孫、安仁屋親雲上は、1709年の大飢饉の折、近隣十ヶ村に米10石を利息なしで貸して救済したと記されています。安里家とその一門は、清明と盆に伊寿留按司の墓を拝み、毛氏一門は、盆と正月に伊舎堂安里家を参拝しています。子孫は、安里に名字「永」を名乗っています。

 戦時中、日本軍がこの墓をトーチカとして利用していたようです。

 地域の聖域なので、見学する際はゴミのポイ捨てや拝みの邪魔になる迷惑行為は行わないようにしてください。
 中城城跡の営業時間内での見学のみ可能ですので、見学の際は管理事務所へお問い合わせください。

 墓は、中城城跡の入口の高台東端にあり、琉球石灰岩の岩盤の下を掘り込んで造られたフィンチャー墓(掘り込み墓)となっています。墓の前面は琉球石灰岩を相方積みに積んであります。
 伊寿留按司は、山田城の按司の長男で護佐丸の兄にあたりますが、城主になるのを望まず、中城間切に移り住み、農業に励んで近隣に聞こえた豪農になり、「伊舎堂安里(屋号)」の始祖となりました。伊寿留の屋敷は、大城の東原にあったといわれ、その西側にあるフスグ森は、伊寿留家がもみがらを風で吹き飛ばして脱穀した場所であり、地名もそのことに由来するといわれています。
 「球陽」(1745年)に、伊舎堂安里の子孫、安仁屋親雲上は、1709年の大飢饉の折、近隣十ヶ村に米10石を利息なしで貸して救済したと記されています。安里家とその一門は、清明と盆に伊寿留按司の墓を拝み、毛氏一門は、盆と正月に伊舎堂安里家を参拝しています。子孫は、安里に名字「永」を名乗っています。

 戦時中、日本軍がこの墓をトーチカとして利用していたようです。

 地域の聖域なので、見学する際はゴミのポイ捨てや拝みの邪魔になる迷惑行為は行わないようにしてください。
 中城城跡の営業時間内での見学のみ可能ですので、見学の際は管理事務所へお問い合わせください。

〒901-2314
沖縄県北中城村大城

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