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島村屋観光公園

 民俗資料館では、琉球の時代から受け継がれた農具や漁具、生活民具、衣装を展示してあり、当時の島民の生活を学ぶことができます。また、海中に米軍が仕掛けた機雷を除去するのに旧日本海軍が使ったという防雷具の現物も展示しています。海中の機雷を引っかけて爆破破壊し、潜水艦の通り道を作るのにも使われていました。そのほか、生きたハブがネズミを捕食する様子を眺めることができる施設もあります。
 なお、お土産品店は、特産品のピーナッツ菓子を安く買える店として県内外から定評があります。

島村屋観光公園

 民俗資料館では、琉球の時代から受け継がれた農具や漁具、生活民具、衣装を展示してあり、当時の島民の生活を学ぶことができます。また、海中に米軍が仕掛けた機雷を除去するのに旧日本海軍が使ったという防雷具の現物も展示しています。海中の機雷を引っかけて爆破破壊し、潜水艦の通り道を作るのにも使われていました。そのほか、生きたハブがネズミを捕食する様子を眺めることができる施設もあります。
 なお、お土産品店は、特産品のピーナッツ菓子を安く買える店として県内外から定評があります。

 島村屋観光公園は、沖縄三大悲歌劇「伊江島ハンドゥー小(グヮ)」の悲恋物語の舞台ともなった、島村屋の屋敷跡に作られた公園です。園内には、民俗資料館、ハブの生態について学ぶことができるハブ園、お土産品店、島村屋屋敷跡などがあります。また、島村屋屋敷は、1796年に建造され、1936年に廃墟になった「島村屋」の住宅を、そっくりそのままの形で復元したものです。石の壁、竹の造作、土窯など、当時の伊江島を再現してあり、また軒先の屋根瓦は貧しかった伊江島では初めてのことで、その「島村屋」の権力を後世に残したものであるといえます。現在、島村屋観光公園で管理している敷地は約800坪余ですが、当時はその3倍の3000坪余といわれています。

 今から200年以上前、伊江島を領地とする地頭代の一人息子、加那兄(カナーヒー)という青年が、服を新調するために、木綿を買いに国頭村へ行く途中、船が難破し、辺土名の美しい女性ハンドゥー小に助けられました。カナヒーとハンドゥー小はお互い惹かれあい、恋は急激に燃えあがりました。そのころ、伊江島では、加那兄がいなくなったと大騒ぎになり、結局、叔父に加那兄は連れ戻されてしまいました。ハンドゥー小は、一言も伝えずいなくなった加那兄を思い、悲嘆にくれました。それでもハンドゥー小は諦めきれず、伊江島からやってきた船頭主(しんどぅーすー)に事情を話して、伊江島へ渡りました。しかし、胸躍らせて再会するも、加那兄には伊江島に既に妻子がいました。そればかりか、はるばるやってきたハンドゥー小に対して、加那兄は冷たくあしらいました。ハンドゥー小は愛する人の冷たい仕打ちに絶望して、伊江島で自ら命を絶ってしまいました。それからカナヒーの父親が原因不明な死をとげ、加那兄もそれに続いて死んでしまうなど、加那兄の一族には不幸が続き、家系は途絶えてしまいました。これが沖縄三大悲歌劇の一つの「伊江島ハンドゥー小(グヮ)」の悲恋物語のあらすじで、現在では屋敷跡だけが残り、島村屋観光公園内に「島村屋屋敷跡」として復元されています。

 伊江港から車で5分ほどのところにあります。
 無料駐車場やトイレがあります。

 伊江島観光協会:https://iejima.okinawa/kankou/%E5%B3%B6%E6%9D%91%E5%B1%8B%E8%A6%B3%E5%85%89%E5%85%AC%E5%9C%92/

 島村屋観光公園は、沖縄三大悲歌劇「伊江島ハンドゥー小(グヮ)」の悲恋物語の舞台ともなった、島村屋の屋敷跡に作られた公園です。園内には、民俗資料館、ハブの生態について学ぶことができるハブ園、お土産品店、島村屋屋敷跡などがあります。また、島村屋屋敷は、1796年に建造され、1936年に廃墟になった「島村屋」の住宅を、そっくりそのままの形で復元したものです。石の壁、竹の造作、土窯など、当時の伊江島を再現してあり、また軒先の屋根瓦は貧しかった伊江島では初めてのことで、その「島村屋」の権力を後世に残したものであるといえます。現在、島村屋観光公園で管理している敷地は約800坪余ですが、当時はその3倍の3000坪余といわれています。

 今から200年以上前、伊江島を領地とする地頭代の一人息子、加那兄(カナーヒー)という青年が、服を新調するために、木綿を買いに国頭村へ行く途中、船が難破し、辺土名の美しい女性ハンドゥー小に助けられました。カナヒーとハンドゥー小はお互い惹かれあい、恋は急激に燃えあがりました。そのころ、伊江島では、加那兄がいなくなったと大騒ぎになり、結局、叔父に加那兄は連れ戻されてしまいました。ハンドゥー小は、一言も伝えずいなくなった加那兄を思い、悲嘆にくれました。それでもハンドゥー小は諦めきれず、伊江島からやってきた船頭主(しんどぅーすー)に事情を話して、伊江島へ渡りました。しかし、胸躍らせて再会するも、加那兄には伊江島に既に妻子がいました。そればかりか、はるばるやってきたハンドゥー小に対して、加那兄は冷たくあしらいました。ハンドゥー小は愛する人の冷たい仕打ちに絶望して、伊江島で自ら命を絶ってしまいました。それからカナヒーの父親が原因不明な死をとげ、加那兄もそれに続いて死んでしまうなど、加那兄の一族には不幸が続き、家系は途絶えてしまいました。これが沖縄三大悲歌劇の一つの「伊江島ハンドゥー小(グヮ)」の悲恋物語のあらすじで、現在では屋敷跡だけが残り、島村屋観光公園内に「島村屋屋敷跡」として復元されています。

 伊江港から車で5分ほどのところにあります。
 無料駐車場やトイレがあります。

 伊江島観光協会:https://iejima.okinawa/kankou/%E5%B3%B6%E6%9D%91%E5%B1%8B%E8%A6%B3%E5%85%89%E5%85%AC%E5%9C%92/

〒905-0505
沖縄県伊江村字西江上17

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