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ウニギラマの伝説とうふなー橋の碑

 渡嘉敷港から阿波連(あはれん)に向かう途中の渡嘉敷集落の外れにあり、古くから渡嘉敷島に伝わる「大谷辻」の歌碑と渡嘉敷島に住み、村のために尽力した力持ちの大男の民話「ウニギラマ伝説うふなー橋」の記念碑が並び建てられています。
うふなー橋の記念碑の左手に架かる茶色の石は、実際にうふなー橋に架けられたといわれています。

住所

〒901-3501
沖縄県渡嘉敷村渡嘉敷

ウニギラマの伝説とうふなー橋の碑

 渡嘉敷港から阿波連(あはれん)に向かう途中の渡嘉敷集落の外れにあり、古くから渡嘉敷島に伝わる「大谷辻」の歌碑と渡嘉敷島に住み、村のために尽力した力持ちの大男の民話「ウニギラマ伝説うふなー橋」の記念碑が並び建てられています。
うふなー橋の記念碑の左手に架かる茶色の石は、実際にうふなー橋に架けられたといわれています。

 字渡嘉敷1228-2に所在する建造物です。

 琉球王府に仕えていた、身体は大きいが心の優しい力持ちの大男が渡嘉敷にやって来て、ウニギラマ(鬼慶良間)と呼ばれていました。村の人たちのために台風などで農作物が不足するとソテツを植えて、飢えから村人を救ったり、道路を修復したり、渡嘉敷集落から阿波連集落へ行く途中の水田地帯にはウニギラマが木の橋を架けて村のために尽くしていました。
 また、ウニギラマと同じくらい力持ちの阿波連弁慶という人がいて、互いに勢力争いをしていましたが、何かと気に入らない阿波連弁慶が、ウニギラマの架けた木の橋を壊して村人を困らせていました。そこで、ウニギラマは2つの石を運び橋にしたことで、阿波連弁慶に石の橋を壊されることはなくなりました。
 その後ウニギラマは渡嘉敷の世主加那志と崇められ、たーちゅう墓の隣のお宮にまつられています。
 「ウニギラマ伝説うふなー橋」の話は、字渡嘉敷の人々が祖先をまつる1月16日と5月、6月、8月のウマチーと呼ばれるまつりのときに拝んでいる世主加那志と呼ばれる拝所の由来となっています。
 なお、昭和20年3月の沖縄戦での「集団自決」の後、生き残った人たちは、このウニギラマの植えたソテツで生存したともいわれています。また、阿波連の東川上御嶽にまつられている祖先も村の人のためにソテツを植えたという伝説があります。

 渡嘉敷港から徒歩15分ほどの場所にあり、東屋があるのでここで休憩をすることができます。

 字渡嘉敷1228-2に所在する建造物です。

 琉球王府に仕えていた、身体は大きいが心の優しい力持ちの大男が渡嘉敷にやって来て、ウニギラマ(鬼慶良間)と呼ばれていました。村の人たちのために台風などで農作物が不足するとソテツを植えて、飢えから村人を救ったり、道路を修復したり、渡嘉敷集落から阿波連集落へ行く途中の水田地帯にはウニギラマが木の橋を架けて村のために尽くしていました。
 また、ウニギラマと同じくらい力持ちの阿波連弁慶という人がいて、互いに勢力争いをしていましたが、何かと気に入らない阿波連弁慶が、ウニギラマの架けた木の橋を壊して村人を困らせていました。そこで、ウニギラマは2つの石を運び橋にしたことで、阿波連弁慶に石の橋を壊されることはなくなりました。
 その後ウニギラマは渡嘉敷の世主加那志と崇められ、たーちゅう墓の隣のお宮にまつられています。
 「ウニギラマ伝説うふなー橋」の話は、字渡嘉敷の人々が祖先をまつる1月16日と5月、6月、8月のウマチーと呼ばれるまつりのときに拝んでいる世主加那志と呼ばれる拝所の由来となっています。
 なお、昭和20年3月の沖縄戦での「集団自決」の後、生き残った人たちは、このウニギラマの植えたソテツで生存したともいわれています。また、阿波連の東川上御嶽にまつられている祖先も村の人のためにソテツを植えたという伝説があります。

 渡嘉敷港から徒歩15分ほどの場所にあり、東屋があるのでここで休憩をすることができます。

〒901-3501
沖縄県渡嘉敷村渡嘉敷

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