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今帰仁城跡 志慶真乙樽(しげまおとだる)の歌碑

 志慶真乙樽とは、グスクの南にあった志慶真ムラに住んでいたとされる乙樽という女性のことで、歌碑には志慶真川乙樽の琉歌(八・六・六・六)が刻まれています。

住所

〒905-0428
沖縄県今帰仁村今泊

今帰仁城跡 志慶真乙樽(しげまおとだる)の歌碑

 志慶真乙樽とは、グスクの南にあった志慶真ムラに住んでいたとされる乙樽という女性のことで、歌碑には志慶真川乙樽の琉歌(八・六・六・六)が刻まれています。

 黒髪が美しい乙女の噂は国中に広がり、「今帰仁御神」と呼ばれ、時の北山王も側室として仕えさせました。なに不自由なく暮らす幸福な毎日を過ごしていたが、高齢の王には長い間世継ぎがなく、王妃も乙樽も世継ぎが授かることばかりを祈っていました。歌碑には「今帰仁のぐすく  霜成の九年母  しじま乙樽が ぬきゃいはきゃい」と刻まれ、高齢の王に待望の子どもを授かったことから、霜が降りる時期、季節外れに実が熟する九年母(くにぶ)という品種のミカンを子どもを例えて、乙樽が子どもをグスクで可愛がる様子を歌っています。

 伝承では、乙樽は今帰仁グスクの南側にあった志慶真ムラの出身で、絶世の美女であったとされています。時の統治者であった今帰仁世之主(なきじんよのぬし)は彼女を側室へ迎えました。当時、世之主は高齢で跡継ぎがいなかったが、乙樽を側室へ迎えてすぐに王妃が懐妊しました。ところが世之主は病に冒されており『もし男児が産まれたなら、皆で力を合わせて育てて欲しい』と遺言を残して亡くなりました。産まれてきた子は男児で千代松(ちよまつ)と名付けられました。乙樽は側室でありながら千代松を我が子の様に可愛がりました。その様子が碑に書かれています。

 志慶真乙樽は絶世の美女である上に、心も美しいことでも有名です。

 黒髪が美しい乙女の噂は国中に広がり、「今帰仁御神」と呼ばれ、時の北山王も側室として仕えさせました。なに不自由なく暮らす幸福な毎日を過ごしていたが、高齢の王には長い間世継ぎがなく、王妃も乙樽も世継ぎが授かることばかりを祈っていました。歌碑には「今帰仁のぐすく  霜成の九年母  しじま乙樽が ぬきゃいはきゃい」と刻まれ、高齢の王に待望の子どもを授かったことから、霜が降りる時期、季節外れに実が熟する九年母(くにぶ)という品種のミカンを子どもを例えて、乙樽が子どもをグスクで可愛がる様子を歌っています。

 伝承では、乙樽は今帰仁グスクの南側にあった志慶真ムラの出身で、絶世の美女であったとされています。時の統治者であった今帰仁世之主(なきじんよのぬし)は彼女を側室へ迎えました。当時、世之主は高齢で跡継ぎがいなかったが、乙樽を側室へ迎えてすぐに王妃が懐妊しました。ところが世之主は病に冒されており『もし男児が産まれたなら、皆で力を合わせて育てて欲しい』と遺言を残して亡くなりました。産まれてきた子は男児で千代松(ちよまつ)と名付けられました。乙樽は側室でありながら千代松を我が子の様に可愛がりました。その様子が碑に書かれています。

 志慶真乙樽は絶世の美女である上に、心も美しいことでも有名です。

〒905-0428
沖縄県今帰仁村今泊

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